真と、その記述に係っており、後尾、約三分の一は子息、J・P・ロスコー氏の仕事という事になっております。各項の末尾に、それぞれ調査日附とロスコー父子もしくは特志な寄稿家の署名が添えてあります。
尚序文に拠りますと父、M・A・ロスコー氏は×国の化学者サア・ロスコー氏の近親で、有名な大政治家G卿と、その政敵のS卿の両氏から同時に信用されていた外交官だったそうです。そのM・A・ロスコー氏の足跡は西班牙《スペイン》、土耳古《トルコ》、智利《チリ》、日本、等々々の一二等書記官どころを転々し、最後に支那、香港《ホンコン》の領事として着任しているようですが、その間に自分の趣味として手の及ぶ限り刺青に関する写真や、文献を蒐集したもので、しかも自身に各地の刺青の技術者に就いて実地の研究を遂げ、結局、支那と日本の技術が世界的に、最優秀である旨を、一々的確な例証を挙げて記述しているのですから驚くべく真剣な研究と考えなければなりません。
――一番最初に掲げて在る一枚は一八八六年に撮《と》ったルーマニアの皇族フロリアニ伯爵とありますが、それから後に着手された調査が、今日まで約四十年の長日月に亘っておりまして、
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