S岬西洋婦人絞殺事件
夢野久作
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)寧《むし》ろ
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二百|米突《メートル》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》
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法医学的な探偵味を含んだ、且つ、残忍性を帯びた事件の実話を書けという註文であるが、今ここに書く事件は、遺憾ながら左の三項について、その筋に残っている公式の記録、もしくは筆者のノートと相違している筈である。
一、該事件発生地の地形、関係地名、人名
二、機密事項の内容
三、法医学者の活動範囲
従ってその意味からこの稿は実話と称する資格を欠いているのであるが、ここに都合のいい事に、右の三項はこの実話としては寧《むし》ろ傍系的な問題である。冒頭の要求通りの事件の全貌と、つまらない謎が非常にグロテスクな不可解なものに見えた、その真実の経過を明かにするためには何の妨げにもなっていないのみならず、これを省略、変更した事が、却《かえ》ってこの事件に対する理解の明瞭度を高めるために役立っていると思う。なお前記三項を偽装し、又は仮装した事は、この事件の真相を記憶している或る一部の人々の不快とするところかも知れないが、そのそうしなければならなかった理由は、読了後に、自ら首肯され得るであろう。
R市のS岬というと日本海に面した風光明媚の景勝である。R市から海越しに、直径、一里半ばかり距たった対岸で、首の細い半島になっている赤土山の松原の中に、西洋人や日本人の別荘がチラホラと建っている処であるが、その内海側の一番突端のコンモリと丸い松林の緑の中に、R市に在る某石油会社の支配人で、有名な愛妻家として、度々新聞にゴシップされた事のあるJ・P・ロスコーという×国人の住宅が建っていた。見るからに蕭洒《しょうしゃ》なバンガロー風の青ペンキ塗、平屋建で、対岸のR市から眺めると、三丁ばかり離れて建っている倫陀療養院の赤い屋根と、偶然の美しいコントラストを作っているのであるが、そのJ・P・ロスコー氏の最愛の夫人で、今年二十四になるマリイ・ロスコーという美人が大正×年の八月二十何日であったか土曜日の真夜中に、この
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