……ヘエ……それなら致方《いたしかた》ござりません。何もかも白状致します。ヘエイ……。
私はこう見えても江戸ッ児で御座りまして、本籍は神田の――町――番地という事になっております。あの辺で名高い八百久《やおきゅう》の料理番の子に生れまして、そのまんま若い時分から親の真似ごとをして八百久の大将に可愛がられておりましたもので……ヘイ。ところがでございます。人間てえものは腕がすこし出来て参りますと……どうも……そのヘヘヘ、ちっとばかり慢心致しまして、世話講釈の文句通りに飲む、打つ、買うの三道楽で、日本に居られなくなりましたので、一つ上海《シャンハイ》へ渡って、チャンチャンと毛唐の料理を習って一旗上げてやろうてんで、日清戦争のチョット前ぐらいで御座いましたか。上海《シャンハイ》へ渡るつもりで船へ乗りましたのが、間違って香港《ホンコン》へ着いてしまいましたので……ヘエ。私が船を間違えたのか、船が私を間違えたのか、そこんところがハッキリ致しませぬが、とにかく香港《ホンコン》へ下《おろ》されちまいましたので弱りました。
ところが世の中てえものは妙なもので、何が仕合わせになるものかわかりません。その支那へ出立しがけに、先へ着いてからチャンコロと間違えられねえ用心にと思いまして、横浜の彫辰《ほりたつ》ってえ職人に頼んで、御覧の通り見っともねえ傷を身体《からだ》中に附けてもらっておりましたが、そいつが香港で物を言いまして、いい加減な悪党と見られたもので御座いましょう。ちょっとした料理屋の下まわりに落付きましたような事で……ヘエ……。
ところが又、持って生れた因果とでも申しましょうか。チャン料理とバタ料理が手に附いて来てイクラか名前が知れるようになりますと、又もや前に申しましたような三道楽の虫がムクムクと動き初めましたもので……殊にアチラの道楽と申しますと御承知の通り日本のとは違ってアクの利き方が段違いなんで……とてもアクドイ無茶苦茶なものですから一たまりもありませぬ。間もなくモノスゴイ地獄みてえなインチキ賭博に引っかかってスッテンテンにされてしまいましたので、口惜し紛れにその賭場のテーブルの上に引っくり返ってくれました。そのインチキのネタを滅茶滅茶にバラしてくれましたが、何しろ多勢に無勢ですから敵《かな》いません。十何人の毛唐や、支那人を相手に大喧嘩を致しました揚句、半殺しにノサ
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