痛んでおりました。しかし白昼のようにいい月で御座いましたから、竹の皮の庭|草履《ぞうり》を穿きまして、裏の松原に出て用を足しますと、夕方の飲残りの酒を持って松原を抜けまして、外海岸の岩山に登って、そこの草原で燗瓶《かんびん》の口から喇叭《ラッパ》を吹きながら、銀のように打ち寄せて来る真夜中の大潮を見ておりまする中《うち》に、迎え酒が利きましたかして、又グッスリと眠ってしまったらしゅう御座います。そのうちに先刻の倫陀病院の代診さんに起されまして、ロスコー様が、海岸にブッ倒れて御座ったのを、タッタ今倫陀病院に担ぎ込んでいる。様子がおかしいから直ぐに介抱に来てくれと云われました時にはビックリ致しました。……いいえ。まったくで御座います。マリイ様がお亡くなりになりました事を聞きましたのは今が初めてで……何とも早や申上げようも御座いませぬ。いつも奥様から励まされ励まされしてヤット会社へお出かけになっておりました位気の弱いロスコー様が、あのようにお取乱しになるのも御尤《ごもっと》もな事で……。
私は只今、夜露に打たれましたせいか、身体《からだ》中が骨を引抜かれたようにカッタルう御座います。おまけに胸がムカ付いて眼がまわりますようで、口の中に腐った樟脳《しょうのう》のような臭気が致しまして……コンナ気持は生れて初めてで御座います。そんな次第で御座いますから、マリイ様がお亡くなりになりました事に就いては、私は全く何も存じませんので……ヘイ。それよりもロスコーの若旦那様の眼付が、今朝から少し変テコで御座いますので、そればかり心配致しております。お話の通りで御座いますなら、やはり心からマリイ様のお亡くなりになった事を悲しんでおいでになるので御座いましょう。お一人で居ったら、何をなさるか解からない気が致しますが、大丈夫で御座いましょうか。ずっと前に香港《ホンコン》でマリイ様との御婚約が破れそうになった時にも、ロスコー様はやはり、あんなようなヒステリーじみた御容態になられましたもので、私はこう申します中《うち》にも何となく、気になって気になってたまらないので御座います」
そんな事を繰返し繰返し云いながら東作は白髪《しらが》頭をシッカリと抱え込んで考えている。そのほかロスコー家の過去に就いては何を尋ねても返事をしない。特に刺青に関係した事となると牡蠣《かき》のように口を噤《つぐ》んでしま
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