ざんげの塔
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)基督《キリスト》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)おやじ[#「おやじ」に傍点]
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「女を見て美しいと思うものは、罪を犯した者だ」という基督《キリスト》の眼から見れば、たいていの人間は犯罪者……だと思う。それかといって懲役に行くような犯罪をここに発表するわけにも行かぬ……たとえあるにしてでもである。もし又ないのに発見したら、それこそ犯罪であろう。だから「私の犯罪」の告白はその中間程度の生ぬるいところで勘弁していただかねばならぬ。
 まず手軽いところから……。

 ショッチュウ東京福岡間を往復していた頃のこと。急行でも退屈してしようがないので、ポケットから小さな雑記帳を出して、眼の前の窓に頭をよせかけて居ねむりをしている、四十五、六の紳士の顔をスケッチしはじめた。中禿の頭の毛、ダダッ広い額、ゲジゲジ眉、尻下りになった眼、小さな耳、大きな鷲鼻、への字なりの口、軍艦のようなアゴと念入りに書き上げてパタリと雑記帳を伏せると、その人が大きな眼を開いて私を見た。ニヤリとして言った。
「出来ましたかね」

 私のおやじ[#「おやじ」に傍点]は、伜をカラカッて楽しむというわるい癖がある。それもかなり残忍な方法で……たとえば私はいろんな事の褒美や何かでおやじ[#「おやじ」に傍点]から金時計を四ツとプラチナの時計を二個貰っていたが、実物はまだ一度も手にしなかった。私はその数をチャンと記憶して遺恨骨髄に徹していた。
 そのうちに私のニッケル側が壊れたから、これ幸いとその時計を持って上京して、おやじ[#「おやじ」に傍点]に新しいのを買ってくれといったら、おやじ[#「おやじ」に傍点]は仔細らしく私のニッケル側をゆすぶって見たあげくケロリとして、
「使えるだけ修繕して使え」
 と言って知り合いの時計屋を教えた。私は煮えくりかえる程腹がたって、どうしてくれようかと思い思いその時計屋に行ったら、見知り越しの番頭が出て来て、
「いらっしゃいまし。旦那様のお時計はもう出来ております。玉が一つ割れておりましたので……お届けしようと存じておりましたところで……」
 と言ううちに大きなマホガニーの箱をだした。開いて見ると、おやじ[#「おやじ」に傍点]が虎の子のようにしているプラチナの時計で
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