ている。
何でもカンでも未亡人の云う通りになっていたことを記憶している。
その中《うち》に、ただ一つ酔っ払い式の片意地を張って、左右の手にはめた黒い手袋をドウしても脱がなかったので、未亡人から臆病者とか何とか云って散々に冷かされていた事も忘れていない。
併《しか》し最後にトウトウその手袋を脱がされた。そうして、見るからに外国製らしい銀色の十字型の短刀を夫人から渡されると、その冴切《さえき》った刃尖《はさき》を頭の上のシャンデリヤに向けながら、大笑いした自分の声を、今でもハッキリと記憶している。
「ハッハッハッハッハッ、これで自殺しろと云うんですか」
私は室の中央に突立ったまま何度も何度も舌なめずりをしていた。そのダラシのない姿が、寝台《ベッド》の上に寝そべっている夫人の姿と重なり合って、室の奥の大鏡にアリアリと映っていた。
「そうじゃないのよ。妾を殺して頂戴って云うのよ」
「……ハハハ……死にたいんですか」
「……ええ……死にたいの」
「……どうして……」
「……だって妾は破産しているんですもの」
「……ヘエ……ホントウですか」
「貴方に上げたのが妾の最後の財産よ。今夜が妾の楽しみのおしまいよ」
「……ウソ……ウソバッカリ……」
「嘘なもんですか。妾は一番おしまいに貴方の手にかかって殺されるつもりでいたのよ。そうして妾の秘密を洗い泄《ざら》い貴方の筆にかけて頂いて、妾の罪深い生涯を弔《とむら》って頂こうと思って、そればっかりを楽しみにしていたのよ」
「……アハハハハアハハハハ……」
「イイエ。真剣なのよ。貴方の手がモウ妾の肩にかかって来るか来るかと思って、待ち焦れていたんですよ」
「……フーム……」
私は短刀を片手に提げたまま頭《くび》をガックリと傾けた。理窟を考えよう考えようとしたが、自分の両足の下の藍色の絨緞《じゅうたん》と、その上に散乱した料理や皿の平面が、前後左右にユラリユラリと傾きまわるばっかりで、どうしても考えを纏めることが出来なかった。
私は鏡の中の自分の姿を、眩《まぶ》しいシャンデリヤ越しに振り返ってみた。真白く酔い痴《し》れた顔が大口を開《あ》いて笑っていた。
「アッハッハッハッハッ。……よしッ……殺してやろう……」
といううちに私は、短剣を逆手《さかて》に振り翳《かざ》しながら、寝台《ベッド》の上に仰臥している未亡人の方へ、よろめきかかって行った。
底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年8月24日第1刷発行
2004(平成16)年2月10日第4刷発行
入力:將之、雨谷りえ
校正:A子
2006年9月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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