ごく内輪で済まされていて、素人弟子には全く知らせないことになっていたのに老先生は何でこんなことをなさるのであろう。鶴原未亡人が差し出てお香典でも呉れたのか知らんと思いながら見ていると、書生さんもその戒名を手に取って青白い顔をしながら何べんも読み返している。何だか様子が変なあんばいだ。
そのうちに書生さんはニッと妙な笑い方をしながら私の顔を見て、
「どうも御苦労様です……ちょっとお上りになりませんか……今私一人ですが……」
と云った。その声は非常に静かで女のような魅力があった。私はどうしようかと思った。上ってはいけないような気がする一方に、何だか上りたくてたまらぬような気がして立ったまま迷っていると書生さんは箱を抱えて立ち上りがけに躊躇しいしい又云った。
「……いいでしょう……それに……すこしお頼みしたいことも……ありますから」
私は思い切って下駄を脱いだ。書生さんは私を玄関の横の、もと応接間だったらしい押し入れのない室《へや》へ連れ込んだ。見ると八畳の間一パイに新聞や小説や雑誌の類が柳行李《やなぎこうり》や何かと一緒に散らばっていて、真中の鉄瓶のかかった瀬戸物の大火鉢のまわりすこ
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