ぜられ、世間からは蔑《さげ》すまれたが、本人はすこしも意としなかった。その後さる町家から妻を迎えてからは、とうとうこれを本職のようにして上《うえ》つ方《がた》に出入りをはじめ、自ら鼓の音に因《ちな》んだ音丸という苗字を名宣《なの》るようになった。
久能の出入り先で今大路《いまおおじ》という堂上方《どうじょうがた》の家に綾姫《あやひめ》という小鼓に堪能な美人がいた。この姫君はよほどいたずらな性質《たち》で色々な男に関係したらしく、その時既に隠し子まであったというが、久能は妻子ある身でありながら、いつとなくこの姫君に思いを焦《こ》がすようになった揚句《あげく》、ある時鼓の事に因《よ》せて人知れず云い寄った。
綾姫は久能にも色よい返事をしたのであった。しかしそれとてもほんの一時のなぐさみであったらしく、間もなく同じ堂上方で、これも小鼓の上手ときこえた鶴原卿《つるはらきょう》というのへ嫁《かた》づくこととなった。
これを聞いた久能は何とも云わなかった。そうしてお輿入《こしい》れの時にお道具の中に数えて下さいといって自作の鼓を一個さし上げた。
これが後《のち》の「あやかしの鼓」であった。
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