老先生と反対にデップリと肥った気の優しい人で、鼓の音《ね》ジメのよかった事、東京や京阪で催しのある毎《ごと》に一流の芸者がわざわざ聞きに来た位であったという。家出された時が二十歳《はたち》であったが着のみ着のままで遺書《かきおき》なぞもなく、また前後に心当りになるような気配もなかったので探す方では途方に暮れた。一方に気の早い内弟子はもう後釜をねらって暗闘を初めているらしい事なぞをおしゃべりの女中からきいた。
「あなたが大方あと継ぎにおなりになるんでショ」なぞとその女中は云った。
しかし老先生は私に鼓打ちになれなぞとは一口も云われなかった。只|無暗《むやみ》に可愛がって下さるばかりであった。
けれども家《うち》が家《うち》だけに鼓の音《ね》は朝から晩まで引っ切りなしにきこえた。そのポンポンポンポンという音をウンザリする程きかされているうちに私の耳は子供ながら肥えて来た。初めいい音だと思ったのがだんだんつまらなく思われるようになった。内弟子の中で一番上手だという者の鼓の|音〆《ねじめ》はほかの誰のよりもまん丸くて、キレイで、品がよかったがそれでも私は只美しいとしか感じなかった。もうすこ
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