は私の愚問を恥じて又赤面した。
「こっちへお出《いで》なさい。家《うち》の中をお眼にかけましょう。そうすれば伯母がどんな性格の女だかおわかりになりましょう。ことによると違った人の眼で見たら鼓の隠してあるところがわかるかも知れません」
と云ううちに妻木君は立ち上った。私は鼓のことを殆んど諦めながらも、云い知れぬ好奇心に満たされて室《へや》を出た。
応接間を出ると左は玄関と、以前人力車を入れたらしいタタキの間《ま》がある。妻木君は右へ曲って私を台所へ連れ込んだ。
それは電気と瓦斯《ガス》を引いた新式の台所で、手入れの届いた板の間がピカピカ光っている。そこの袋戸棚から竈《かまど》の下とその向う側、洗面所の上下の袋戸、物置の炭俵や漬物桶の間、湯殿と台所との間の壁の厚さ、女中部屋の空っぽの押入れ、天井裏にかけた提灯《ちょうちん》箱なぞいうものを、妻木君は如何にも慣れた手付きで調べて見せたが何一つ怪しいところはなかった。
「女中はいないんですか」と私は問うた。
「ええ……みんな逃げて行きます。伯母が八釜《やかま》しいので……」
「じゃお台所は伯母さんがなさるのですね」
「いいえ。僕です」
「ヘエ。あなたが……」
「僕は鼓よりも料理の方が名人なのですよ。拭き掃除も一切自分でやります。この通りです」
と妻木君は両手を広げて見せた。成る程今まで気が附かなかったがかなり荒れている。
ボンヤリとその手を見ている私を引っ立てて妻木君は台所を出た。右手の日本風のお庭に向かって一面に硝子障子《ガラスしょうじ》がはまった廊下へ出て、左側の取っ付きの西洋間の白い扉《ドア》を開くと妻木君は先に立って這入った。私も続いて這入った。
初めはあまり立派なものばかりなので何の室《へや》だかわからなかったが、やがてそれが広い化粧部屋だということがわかった。うっかりすると辷《すべ》り倒れそうなゴム引きの床の半分は美事な絨毯《じゅうたん》が敷いてある。深緑のカアテンをかけた窓のほかは白い壁にも扉《ドア》の内側にも一面に鏡が仕掛けてあって、室中《へや》のものが涯《は》てしもなく向うまで並び続いているように見える――西洋式の白い浴槽《ゆぶね》、黒い木に黄金色《きん》の金具を打ちつけた美事な化粧台、着物かけ、タオルかけ、歯医者の手術室にあるような硝子《ガラス》戸棚、その中に並んだ様々な化粧道具や薬品らしいもの、室《へや》の隅の電気ストーブ、向うの窓際の大きな長椅子、天井から下った切り子細工の電燈の笠――。
妻木君はその中に這入って先ず化粧台の下からあらため初めた。しかし私はその時鼓を探すということよりもかなり年増になっている筈の鶴原未亡人が、こんな女優のいそうな室でお化粧をしている気持ちを考えながら眼を丸くしていた。
「この室も不思議なことはないんです」
と妻木君は私の顔を見い見い微笑して扉《ドア》を閉じた。そうして次に今一つある西洋間の青い扉《ドア》の前を素通りにして一番向うの廊下の端にある日本間の障子に手をかけた。
「この室は……」と私は立ち止まって青い扉《ドア》を指した。
「その室は問題じゃないんです。一面にタタキになって真中に鉄の寝台が一つあるきりです。問題じゃありません」
と妻木君は何だかイマイマしいような口つきで云った。
「ヘエ……」
と云いながら私はわれ知らず鍵穴に眼を近づけて内部《なか》をのぞいた。
青黒く地並になった漆喰《しっくい》の床と白い古びた土壁が向うに見える。あかり窓はずっと左の方に小さいのがあるらしく、その陰気で淋しいことまるで貧乏病院の手術室である。隣の化粧室と比べるととても同じ家の中に並んで在る室とは思えない。
「その室に僕は毎晩寝るのです。監獄みたいでしょう」
妻木君は冷笑《あざわら》っているらしかったが、その時は私の眼に妙なものが見えた。それは正面の壁にかかっている一本の短かい革製の鞭で、初め私は壁の汚染《しみ》かと思っていたものだった。
「その室で伯父《おじ》は死んだのです。」
という声がうしろから聞こえると同時に私はゾッとして鍵穴から眼を退《の》けた。同時に妻木君の顔一面に浮んだ青白い笑いを見ると身体《からだ》がシャンと固《こわ》ばるように感じた。むろん今の鞭の事なぞ尋ねる勇気はなかった。
「こっちへお這入りなさい。この室で伯母は鼓を打つらしいのです」
私はほっと溜め息をして奥の座敷に這入った――この家《うち》にはこれ切りしか室がないのだ――と思いながら……。
奥の一室《ひとま》の新しい畳を踏むと、私は今まで張り詰めていた気分が見る見る弛《ゆる》んで来るように思った。
青々とした八畳敷の向うに月見窓がある。外には梅でも植えてありそうに見える。
その下に脚の細い黒塗りの机があって、草色の座布団と華奢《きゃ
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