った心持ちをあの鼓の音《ね》にあらわしたのだ。だから生き生きとした音を出させようとして作った普通《なみ》の鼓とは音色が違う筈である。私はこれを私の思うた人に打たせて『生きながら死んでいる私』の心持ちを思い遣ってもらおうと思ったのだ。ちっとも怨《うら》んだ心持ちはなかった。その証拠にはあの鼓の胴を見よ。あれは宝の木といわれた綾模様の木目を持つ赤樫の古材で、日本中に私の鑿《のみ》しか受け付けない木だ。その上に外側の蒔絵《まきえ》まで宝づくしにしておいた。あれはお公卿《くげ》様というものが貧乏なものだから、せめてあの方の嫁《ゆ》かれた家《うち》だけでも、お勝手許《かってもと》の御都合がよいようにと祈る心からであった。それがあんなことになろうとは夢にも思い設けなんだ。誰でもよい。私が死に際のお願いにあの鼓を取り返して下さらんか。そうして又と役に立たんように打ち潰して下さらんか。どうぞどうぞ頼みます」
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 これが久能の遺言となったが、誰も鶴原家に鼓を取り返しに行く者なぞなかった。それどころでなく変死であったので、ごく秘密で久能の死骸を葬った。

 しかしこの遺言はいつとなく噂となって世間に広まり、果は鶴原家の耳にも入るようになった。鶴原家ではそれからその鼓をソックリ箱に蔵《おさ》めて、土蔵の奥に秘めて虫干しの時にも出さないようにした。それと一緒に誰云うとなく「あやかしの鼓」という名が附いて、その箱の蓋を開いただけでも怪しいことがある……その代りこの鼓を持ち伝えてさえおれば家《うち》の中に金が湧くと言い伝えられた。そのおかげかどうかわからぬが、その後の鶴原家には別に変ったこともなく却《かえ》ってだんだんと勝手向きもよくなって維新後は子爵を授けられたが、大正の初めになると京都を引き上げて東京の東中野に宏大な邸《やしき》を構えた。
 これと反対に綾姫の里方の今大路家はあまり仕合せがよくなかった。綾姫が鶴原家に嫁《かた》づいたたあとで、血統《ちすじ》が絶えそうになったが綾姫の隠し子があったのを探し出して表向きを都合よくして、やっと跡目を立てたような始末であった。しかしその後しだいに零落してしまって維新後はどうなったか、わからなくなっているという。
 こうして「あやかしの鼓」に関係のある二軒の家が一軒は栄え一軒は落ちぶれている一方に、音丸久能の子の久伯《きゅうは
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