ぜられ、世間からは蔑《さげ》すまれたが、本人はすこしも意としなかった。その後さる町家から妻を迎えてからは、とうとうこれを本職のようにして上《うえ》つ方《がた》に出入りをはじめ、自ら鼓の音に因《ちな》んだ音丸という苗字を名宣《なの》るようになった。
 久能の出入り先で今大路《いまおおじ》という堂上方《どうじょうがた》の家に綾姫《あやひめ》という小鼓に堪能な美人がいた。この姫君はよほどいたずらな性質《たち》で色々な男に関係したらしく、その時既に隠し子まであったというが、久能は妻子ある身でありながら、いつとなくこの姫君に思いを焦《こ》がすようになった揚句《あげく》、ある時鼓の事に因《よ》せて人知れず云い寄った。
 綾姫は久能にも色よい返事をしたのであった。しかしそれとてもほんの一時のなぐさみであったらしく、間もなく同じ堂上方で、これも小鼓の上手ときこえた鶴原卿《つるはらきょう》というのへ嫁《かた》づくこととなった。
 これを聞いた久能は何とも云わなかった。そうしてお輿入《こしい》れの時にお道具の中に数えて下さいといって自作の鼓を一個さし上げた。
 これが後《のち》の「あやかしの鼓」であった。
 鶴原家に不吉なことが起ったのもそれからのことであった。
 綾姫は鶴原家に嫁づいて後その鼓を取り出して打って見ると、尋常と違った音色が出たので皆驚いた。それは恐ろしく陰気な、けれども静かな美くしい音であった。
 綾姫はその後何と思ったか、一室《ひとま》に閉じこもってこの鼓を夜となく昼となく打っていた。そうして或る朝何の故ともなく自害をして世を早めた。するとそれを苦に病んだものかどうかわからぬが、鶴原卿もその後病気勝ちになって、或る年関東へお使者に行った帰り途《みち》に浜松とかまで来ると血を吐いて落命した。今でいう結核か何かであったろう。その跡目は卿の弟が継いだそうである。
 しかしその鼓を作った久能も無事では済まなかった。久能はあとでこの鼓をさし上げたことを心から苦にして、或る時鶴原卿の邸内へ忍び入ってこの鼓を取り返そうとすると、生憎《あいにく》その頃召し抱えられた左近という若侍に見付けられて肩先を斬られた。そのまま久能は鼓を取り得ずに逃げ帰って間もなく息を引き取ったが、その末期《いまわ》にこんなことを云った。
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「私は私があの方に見すてられて空虚《うつろ》とな
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