乗りをあげ、美しく戦い、美しく死に、又は殺すべく……人間性の真剣味を極度にまで発揮すべく……死生を超越して努力している。
ここに於てか、能は、戦争の真剣味以上に高潮したる、真剣美そのものの現われでなければならぬ事がわかるであろう。
しからば現代の能は、どこまで死生の上に超越しているか。どこで砲煙弾雨以上の火花を散らし、白兵戦以上の屍山血河の間を悠遊しているか。……オット、脱線脱線……サテその次に……。
スポーツは「平和時代に於ける人間の争闘精神のあらわれ」だと言える。但し、議会の乱闘なぞとは全然正反対の意味に於けるアラワレなので……しかもその目的が利欲の観念を含まぬ、純粋な意味の勝敗のみに限られているだけに、吾々の日常生活や戦争なぞよりもはるかに高潮した肉体と精神の純真純美さを、あらゆる刹那に発揮し得るように出来ている。換言すれば、生活の極致のノンセンスが戦争になる。戦争のノンセンスの極致がスポーツとなるので、生活から戦争が生まれ、戦争からスポーツが生まれる。そうしてそのスポーツをもう一つノンセンスにしたものが、舞い、歌い、囃子(胴上げ、凱歌、拍子がその濫觴……だかどうか知
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