)である。

 この研究と併行して、醫學者間に脚氣の問題が起つた。それは和蘭の醫者でアイクマンといふ人がジャヴァで脚氣の研究をやつて居つた時(この人は當時日本へも來たことがある)偶然に病院の殘飯を鷄に與へると鷄がヒヨロ/\になつて死んでしまふことを見出した。そこで白米で鷄を飼つて見ると、皆同じやうに衰弱し、脚が麻痺して、恰度人間の脚氣に似た症状を呈する。が、玄米を與へれば病氣にはならない。また糠を白米に混じて與へても、矢張り效果のあることを確めた。
 併しアイクマンは白米に微生物が附着して居り、それが鷄の胃の中で繁殖して中毒を起すのであつて、糠の中にはこの毒素を中和する物質があるだらうと考へたのである。
 その頃から日本の醫學者も、米のことに注意するやうになつた。海軍の軍醫總監であつた高木兼寛男は、水兵が遠洋航海すると脚氣に罹つて死ぬ者が多いのに困つて、食物の關係ではなからうかと考へ、日本食を洋食にしたり、或は白米を麥に代へたりして試驗した結果、麥飯にすれば脚氣が非常に少なくなることを認め、遂に海軍の食物を改革したのであるが、何故に麥飯がよいかは説明が出來なかつた。
 私が獨逸から歸つ
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