、數人の助手や看護婦などにヴィタミンBの少い食物を與へて人工的に脚氣を起さしめ、これにB製劑を與ふれば癒ることを實驗し、醫界の注意を惹いた。もつとも、それより前(一九一三年)ベルリン高等農學校でツンツ教授の助手モスコースキー氏が、自身にBの少い食物を攝り、二百餘日の後、脚氣樣の重患に陷つた際、糠の浸液を飮んで恢復したとて、その臨床報告を發表して居る。
併し氏の食物は、絶對のB缺乏食ではなかつた。またその症状が日本の脚氣とは異なる點があるといふので、日本の醫學者は餘り信用しなかつた。
兎に角、脚氣問題は幾多の波瀾を經て、遂にヴィタミンB缺乏説に歸着したやうである。それがために、B製劑が續出して、現時は數十種類にも達する有樣である。
化學者の大收獲
私が四十四年に製出した強力「オリザニン」は未だ化學的純粹とは云はれなかつた。鳩の白米病を治癒するのに五―十ミリ瓦を要したのである。それを結晶状に抽出しようと企て、大嶽、島村、鈴木(文助)その他多數の諸氏の助力を得て盛んに研究したのであるが、なか/\その目的を達せなかつた。
その内、大正三年となつて、歐洲大戰が勃發し、我國では染料や藥品
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