たが足はいつの間にか権之助坂を下りていた。虎杖《いたどり》の花の白く咲いた、荷車の砂塵のはげしい多摩川道を静かにどこという目的《あて》もなく物思いながらたどるのである。
 私は権之助という侠客《おとこだて》の物語を想うた、いつか駅長の使いをしてやった時、駅長は遠慮する私を無理に引きとめて、南の縁で麦酒《ビール》を飲みながら私にいろいろの話をしてくれた、目黒|界隈《かいわい》はもと芝|増上寺《ぞうじょうじ》の寺領であったが、いつのころか悪僧どもが共謀して、卑しい手段で恐ろしい厳しい取立てをした、その時村に権之助という侠客がいて、百姓の難渋を見ていることが出来ないというので、死を決して増上寺から不正の升を掠《かす》めて町奉行《まちぶぎょう》に告訴した、権之助のために増上寺の不法は廃《や》められたけれども、かれはそれがために罪に問われて、とある夕ぐれのことであった、情知らぬ獄吏に導かれて村中引き廻《まわ》しにされた上、この岡の上で惨《いた》ましい処刑《しおき》におうたということ。
 ああ、権之助の最後はこんな夕ぐれであったろうか。
 私は空想の翼を馳《は》せて、色の浅黒い眼の大きい、骨格の逞《たくま》しい一個の壮漢の男らしい覚悟を想い浮べて見た。いかに時代《ときよ》が違うとは言いながら昔の人はなぜそんなに潔く自分の身を忘れて、世間のために尽すというようなことが出来たのであろう。
 羞かしいではないか、私のような欝性《うつしょう》がまたと世にあるであろうか、欝性というのも皆自分の身のことばかりクヨクヨと思うからだ、私がかつて自分のことを離れて物を思うたことがあるであろうか、昼の夢、夜の夢、げに私は自分のことばかりを思う。
 いつの間にか私は目黒川の橋の上に佇んで欄干にもたれていた。この川は夕日が岡と、目黒原の谷を流れて、大崎大井に落ちて、品川に注ぐので川幅は狭いけれども、流れは案外に早く、玉のような清水をたたえている。水蒸気を含んだ秋のしめやかな空気を透してはるかに水車の響が手にとるように聞えて来る、その水車の響がまた無声にまさる寂しさを誘《いざな》うのであった。
 人の橋を渡る気配がしたので、私はフト背後《うしろ》をふりかえると、高谷千代子とその乳母《うば》というのが今橋を渡って権之助の方へ行くところであった。私がそのうしろ姿を見送ると二人も何か話の調子で一しょに背後を見かえった。私と千代子の視線が会うと思いなしか千代子はニッコリ笑うたようであった。
 私は俯伏《うつぶ》して水を眺めた。そこには見る影もない私の顔が澄んだ秋の水鏡に映っている。欄干のところに落ちていた小石をそのまま足で水に落すと、波紋はすぐに私の象《かた》を消してしもうた。
 波紋のみだれたように、私の思いは掻《か》き乱された。
 あの女《ひと》はいま乳母と私について何事を語って行ったろう、あの女は何を笑ったのであろう、私の見すぼらしい姿を嘲笑《あざわら》ったのではあるまいか、私の穢《むさ》くるしい顔をおかしがって行ったのではあるまいか。
 波紋は静まって水はまたもとの鏡にかえった、私は俯伏して、自分ながら嫌気のするような容貌《かおつき》をもう一度映しなおして見た、岸に咲きみだれた藤袴《ふじばかま》の花が、私の影にそうて優しい姿を水に投げている。

     六

 岡田の話では高谷千代子の家は橋を渡って突き当りに小学校がある、その学校の裏ということである。それを尋ねて見ようというのではないけれども、私はいつとはなしに大鳥神社の側を折れて、高谷千代子の家の垣根《かきね》に沿うて足を運んだ。
 はるかに火薬庫の煙筒は高く三田村の岡を抽《ぬ》いて黄昏《たそがれ》の空に現われているけれども、黒蛇のような煤煙はもうやんでしまった。目黒川の対岸《むこう》、一面の稲田には、白い靄《もや》が低く迷うて夕日が岡はさながら墨絵を見るようである。
 私がさる人の世話で目黒の停車場《ステーション》に働くことになってからまだ半年には足らぬほどである。初めて出勤してその日から私は千代子のあでやかな姿を見た。千代子はほかに五六人の連れと同伴《いっしょ》に定期乗車券を利用して、高田村の「窮行《きゅうこう》女学院」に通っているので、私は朝夕、プラットホームに立って彼女を送りまた迎えた。私は彼女の姿を見るにつけて朝ごとに新しい美しさを覚えた。
 世には美しい人もあればあるもの、いずくの処女《おとめ》であるだろうと、私は深く心に思うて見たがさすがに同職《なかま》に聴いて見るのも気羞かしいのでそのままふかく胸に秘めて、毎朝さまざまの空想をめぐらしていた。
 ある日のこと、フトした機会《はずみ》から出札の河合が、千代子の身の上についてやや精《くわ》しい話を自慢らしく話しているのを聞いた。彼は定期乗車券のことで毎月彼女と親しく語《ことば》を交すので、長い間には自然いろいろなことを聞き込んでいるのであった。
 千代子は今茲《ことし》十七歳、横浜で有名な貿易商正木|某《なにがし》の妾腹に出来たものだそうで、その妾《めかけ》というのは昔新橋で嬌名の高かった玉子とかいう芸妓《げいしゃ》で、千代子が生まれた時に世間では、あれは正木の子ではない訥弁《とつしょう》という役者の子だという噂《うわさ》が高く一時は口の悪い新聞にまでも謳《うた》われたほどであったが、正木は二つ返事でその子を引き取った。千代子はその母の姓を名乗っているのである。
 千代子の通うている「窮行女学院」の校長の望月貞子というのは宮内省では飛ぶ鳥も落すような勢力、才色兼備の女官として、また華族女学校の学監として、白雲遠き境までもその名を知らぬ者はないほどの女である。けれども冷めたい西風は幾重の墻壁《しょうへき》を越して、階前の梧葉《ごよう》にも凋落《ちょうらく》の秋を告げる。貞子の豪奢《ごうしゃ》な生活にも浮世の黒い影は付き纏《まと》うて人知れず泣く涙は栄華の袖に乾《かわ》く間もないという噂である。この貞子が世間に秘密《ないしょ》で正木某から少からぬ金を借りた、その縁故で正木は千代子が成長するに連れて「窮行女学院」に入学させて、貞子にその教育を頼んだ。高谷千代子は「窮行女学院」のお客様にあたるのだ。
 賤《いや》しい女の腹に出来たとはいうものの、生まれ落ちるとそのままいまの乳母の手に育てられて淋しい郊外に人となったので、天性《うまれつき》器用な千代子はどこまでも上品で、学校の成績もよく画も音楽も人並み優れて上手という、乳母の自慢を人のいい駅長なんかは時々聞かされるということであった。
 私は始めて彼女のはかない運命を知った。自分ら親子の寂しい生活と想いくらべて、やや冷めたい秋の夕を、思わず高谷の家の門のほとりに佇んだ。洒然《さっぱり》とした門の戸は固く鎖《とざ》されて、竹垣の根には優しい露草の花が咲いている。

     七

 次の日の朝、私は改札口で思わず千代子と顔を合わせた。私は千代子の眼に何んと知れぬ一種の思いの浮んだことを見た、私は千代子のような美人が、なぜ私のような見すぼらしい駅夫|風情《ふぜい》に、あんな意味《こころ》のありそうな眼つきをするのだろうと思うとともに今朝もまた千代子を限りなく美しい人と思うた。
 今日は岡田が休んだので私は改札もしなければならないのだ。
 客は皆階壇を下りた、私は新宿行きという札をかけ変えて、一二等の待合室を見廻りに行った。見ると待合のベンチの上に油絵の風景を描き出した絵葉書が二枚置き忘れてある。
 急いで取り上げて見たが、私はそれが千代子の忘れたものであることをすぐに気づいた。改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶように階壇を飛び降りたが、その刹那《せつな》、新宿行きの列車は今高く汽笛を鳴らした。
「高谷さん※[#感嘆符二つ、1−8−75] 高谷さん※[#感嘆符二つ、1−8−75]」と私は呼んでいつもの三等室の前へ駆けつけて絵はがきを差し出したけれども、どうしたものか今日に限って高谷は後背《うしろ》の室にいない。
 プラットホームに立っていた助役の磯というのが、私の手から奪うように葉書を取って、すでに徐行を始めた列車を追うて、一二等室の前を駆け抜けたが、
「高谷さん! お忘れもの!」と呼んで絵はがきを差し出した。
 掌中の玉を奪われたようにぼんやりとして佇んでいると、千代子は車窓から半身を出して、サモ意外というたようにそれを受け取って一旦顔を引いたが、窓からこちらを見て、はるかに助役に会釈した。
 平常《ふだん》から快からず思う磯助役の今日の仕打ちは何事であろう、あまり客に親切でもないくせに、美しい人と言えばあの通りだ。そのくせ自分はもう妻子もある身ではないか。
 運転手は今馬力をかけたものと見えて、汽鑵車はちょうど巨人の喘《あえ》ぐように、大きな音を立てて泥炭《でいたん》の煙を吐きながら渋谷の方へ進んで行く、高谷の乗っている室《クラス》がちょうど遠方シグナルのあたりまで行ったころ、思い出したように、鳥打帽子が窓から首を出してこちらを見た。
 それは大槻芳雄であった。
 ああ千代子は大槻と同じ室に乗るために常例《いつも》の室をやめたのではあるまいか、千代子はフトすると大槻と恋に陥ったのかも知れない、千代子は大槻を恋しているに違いない。私はこう思って見たが、心の隅ではまさかそうでもあるまいと言う声がした。
 俯向《うつむ》いて私は私の掌を見た。労働に疲れ雨にうたれて渋を塗ったような見苦しい私の掌には、ランプの油煙と、機械油とが染み込んでいかにも見苦しい、こんな穢《きたな》い手で私は高谷さんの絵葉書を持ったのか。
 洗ったら少しは綺麗になるだろう。
 かの筧《かけい》の水のほとりには、もう野菊と紫苑《しおん》とが咲き繚《みだ》れて、穂に出た尾花の下には蟋蟀《こおろぎ》の歌が手にとるようである。私は屈《かが》んで柄杓《ひしゃく》の水を汲み出して、せめてもの思いやりに私の穢い手を洗った。
「おい藤岡! あんまりめかしちゃあいけないよ、高谷さんに思いつかれようたッて無理だぜ」
 助役は別に深い意味で言うたわけでもなかったろうけれど、私にとっては非常に恐ろしい打撃であった。ほとんど脳天から水を浴びせられたように愕然《ぎょっ》として見上げると磯は、皮肉な冷笑を浮べながら立っていた。
「お千代さんがよろしくって言ったぜ、どうも御親切にありがとうッて……」
「だって私は自分の……」
とまでは言うたが、あとは唇《くちびる》が強張《こわば》って、例えば夢の中で悶《もだ》え苦しむ人のように、私はただ助役の顔をジッと見つめた。
「君! 腹を立てたのか、馬鹿な奴だ、そんなことで上役に怒って見たところで何になる」
 私は怒ったわけじゃなかッたけれども、助役の語があまり烈《はげ》しく私の胸に応《こた》えたので、それがただの冗談とは思われなかったからである。
 私は初めから助役を快よく思うていなかったのが、このこと以来、もう打ち消すことの出来ない心の隔てを覚えるようになったのである。

     八

「ちょいと、マア御覧よ、こんどはこんなことが書いてあってよ」と一人が小さい紙切を持ってベンチの隅に俯伏すとやっと、十四五歳のを頭に四五人の子守女が低い足駄をガタつかせて、その上に重なりおうててんでに口のなかで紙切の仮名文字をおぼつかなく読んで見てはキャッキャッと笑う。
 子守女とはいうものの皆近処の長屋に住んでいる労働者の娘で、学校から帰って来るとすぐ子供の守をさせられる。雨が降っても風が吹いてもこの子守女が停車場《ステーション》に来て乗客《のりて》の噂をしていないことはただの一日でもない、華《はな》やかに着飾った女の場合はなおさらで、さも羨ましそうに打ち眺めてはヒソヒソと語りあう。
 季節の変り目にこの平原によくある烈しい西風が、今日は朝から雨を誘《いざの》うて、硝子《がらす》窓に吹きつける。沈欝な秋の日に乗客はほんの数えるばかり、出札の河合は徒然《つれづれ》に東向きの淡暗《うすぐら》い電信取扱口から覗《のぞ》いては、例の子守
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