うて母の身の上に及ぶと、世に婦人の薄命というけれど、私の母ばかり不幸な人は多くあるまいと思わぬ時はないのである。
父が死んでから、私たち母子《おやこ》は叔父の家に寄寓して言うに言われぬ苦労をしたが、私は小学校を出て叔父の仕事の手伝いをしている間も深く自分の無学を羞《は》じて、他人ならば学校盛りの年ごろを、いたずらに羞かしい労働に埋《うも》れて行くことを悲しんだ。私がだんだん年ごろとなるに連れて叔父との調和《おりあい》がむずかしく若い心の物狂わしきまでひたすらに、苦学――成功というような夢に憧れて、母の膝に嘆き伏した時は、苦労性の気の弱い母もついに私の願望《ねがい》を容れて、下谷の清水町にわびしく住んでいる遠縁の伯母をたよりに上京することを許してくれた。
去年の春下谷の伯母を訪ねて、その寡婦《やもめ》暮しの聞きしにまさる貧しさに驚かされた私は、三崎町の「苦学社」の募集広告を見て、天使の救いにおうたように、雀躍《こおどり》して喜んだ。私は功名の夢を夢みて「苦学社」に入った。
母の涙の紀念《かたみ》として肌身《はだみ》離さず持っていたわずかの金を惜しげもなく抛《な》げ出して入社した三崎
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