描いたとかいうので朋友《なかま》の間には、早くもこの人の前途に失望して、やがては、女のあさましい心を惹《ひ》くために、呉服屋の看板でも描くだろうというような蔭口をきく者もあるそうである。
岡田はしばらくするうちに、停車場《ステーション》の方に呼ばれて行く、大槻軍医も辞し去ってしもうた。後で駅長の細君は語を尽して私を慰めてくれた。細君というのは年ごろ三十五六歳、美人というほどではないけれども丸顔の、何となく人好きのするというたような質である。
「下宿にいちゃあ何かと困るでしょう、どうせ一週間ばかりなら宅《うち》にいて養生してもいいでしょう、ね、宅でも大変お前さんに見込みをつけていろいろお国の事情なんかも聞いて見たいなんて言うていましたよ」
「え、ありがとう、しかしこの分じゃあ大した傷でもないようですから、それにも及びますまい、奥様にお世話になるようではかえって恐れ入りますから」
「何もお前さん、そんな遠慮には及ばないよ、ちっとも構やあしないんだから気楽にしておいでなさいよ」細君は一人で承知している。
ブーンとものの羽音がしたかと思うとツイ眼の先の板塀で法師蝉《ほうしぜみ》が鳴き出した。コスモスの花に夕日がさして、三歩の庭にも秋の趣はみちみちている。
「オ※[#感嘆符三つ、450−上−4] 奥さんですか、今日はとんだことでしたね」と言う声に見ると、大槻が開け放して行った坪の戸から先刻《さっき》プラットホームで見受けた工夫頭らしい男が、声をかけながら入って来たのであった。細君は立ち上って、
「マア小林さん、今日は……随分久しぶりでしたね」という口で座蒲団を出す。小林はちょっと会釈して私を繃帯の下からのぞくようにして、
「どうだい君! 痛むかい、乱暴な奴もあるもんだね」
「え、ありがとう、なに大したこともないようです」
「傷も案外浅くてね、医者も一週間ばかりで癒《なお》るだろうって言うんですよ」と細君が口を添える。
「奥さん、今日は僕も関係者《かかりあい》なんですよ」
「エ! どうして?」とポッチリとした眼をみはる。
「あんまり乱暴なことをしやあがるので、ツイ足がすべって野郎を蹴倒《けたお》したんです」と言うたが細君の汲んで出した茶をグッと飲み干す。私は小耳を引っ立てて聴いている。
十二
「今度複線工事のことについてちょっと用事が出来てここまでやって来たのです。プラットホームで足立さんに会って挨拶をしていると、今の一件です。
駅長さんが飛び出したもんですから、私もすぐその後へついて行った。この児が」といいかけてちょっと私の方を見て、「野郎に突き倒されるのを見ると、グッと癪《しゃく》に障《さわ》って男の襟頸《えりくび》を引っ掴んで力任せに投げ出したんです、するとちょうど隧道《トンネル》に支《つか》えた黒煙が風の吹き廻しでパッと私たちの顔へかかったんでどうなったか一切夢中でしたけれども、眼を開《あ》いて見ると可哀そうに野郎インバネスを着たまま横倒しに砂利の上に這《は》いつくばっている……」
「マア!」と言うて人のいい細君は眉を顰《ひそ》めた、私も敵《かたき》ながらこの話を聞いては、あんまりいい気もしなかった。
「それから足立さんと二人で、男を駅長室に連れ込んで談《はな》して見たところが、イヤどうも分らないの何のって、工学士と言えば、一通りの教育もありながら、あんまり馬鹿げていて、話にも何にもならないです」
「悪かったとも何とも言わないのですか」
「ヤレ駅夫が客に対してあんまり無法なことをするとか、ヤレ自分は工学士で汽車には慣れているから、大丈夫飛乗りぐらいは出来るとか、まるで酔漢《えいどれ》を相手にして話するよりも分らないのです。何しろ柔和《おとな》しい足立さんも今日はよほど激していたようでした」
私は小林の談話《はなし》を聴いて、言いしれぬ口惜しさを覚えた。自分の職務というよりも、私があの紳士を制止したのは紳士の生命をあやぶんでのことではないか、私は弱き者の理由がかくして無下に蹂《ふ》み躙《にじ》られて行くのを思うて思わず小さい拳を握った。
「柔和しい足立さんの言うことが私にはもう、まだるっこくなって来たもんですから、手厳《てきび》しく談じつけてやろうとすると足立さんが待てというて制する。足立さんはそれから静かに理を分けてまるで三歳児《みつご》に言い聞かすように談すと野郎もさすがに理に落ちたのか、私の権幕に怖《お》じたのか、駅夫の負傷は気の毒だから療治代はいくらでも出すとぬかすじゃあありませんか」
私は思わず涙の頬に流れるのを禁じ得なかった、療治代は出してやる、私はつくづく人の心の悲しさを知った。さすがに人のいい細君も「マア何という人でしょう!」というてホッと吐息を漏らした。
「ところが驚くじゃあありませんか、私
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