たので、私は小さき胸にはりさけるような悲哀《かなしみ》を押しかくして、ひそかに薄命な母を惨《いた》んだ、私は今茲《ことし》十八歳だけれども、私の顔を見た者は誰でも二十五六歳だろうという。
「君怒ったのか、よし、君がそんなことで怒るくらいならば僕も君に怒るぞ。もし青森までに軌道なしで走るところが一里十六町あったらどうするか」声はやや高かった。
「そんなことがありますか!」私は眼をみはって呼気《いき》をはずませた。
「いいか、君! 軌道と軌道の接続点《つなぎめ》におおよそ二分ばかりの間隙《すき》があるだろう、この間|下壇《した》の待合室で、あの工夫の頭《かしら》に聞いたら一|哩《まいる》にあれがおよそ五十ばかりあるとね、それを青森までの哩数に当てて見給え、ちょうど一里十六町になるよ、つまり一里十六町は汽車が軌道なしで走るわけじゃあないか」
私はあまりのことに口もきけなかった、大槻が笑いながら何か言おうとした刹那《せつな》、開塞《かいさく》の信号がけたたましく鳴り出した。
四
品川行きのシグナルを処理して私は小走りに階壇を下りた。黄昏《たそがれ》の暗さに大槻の浴衣《ゆかた》を着た後姿は小憎らしいほどあざやかに、細身の杖《つえ》でプラットホームの木壇《もくだん》を叩《たた》いている。
私は何だか大槻に馬鹿にされたような気がして、言いようのない不快の感が胸を衝《つ》いて堪えがたいので筧《かけい》の水を柄杓《ひしゃく》から一口グイと飲み干した。
筧の水というものはこの崖から絞れて落つる玉のような清水を集めて、小さい素焼きの瓶《かめ》に受けたので綰物《まげもの》の柄杓が浮べてある。あたりは芒《すすき》が生いて、月見草が自然に咲いている。これは今の駅長の足立熊太という人の趣向で、こんなことの端にも人の心がけはよく表われるもの、この駅長はよほど上品な風流心に富んだ、こういう職業に埋《うも》れて行くにはあたら惜しいような男である。長く務めているので、長峰|界隈《かいわい》では評判の人望家ということ、道楽は謡曲で、暇さえあれば社宅の黒板塀《くろいたべい》から謡《うた》いの声が漏れている。
やがて汽車が着いた。私は駅名喚呼をしなければならぬ、「目黒目黒」と二声ばかり戸《ドアー》を開けながら呼んで見たが、どうも羞かしいような気がして咽喉がつまった。列車は前後《あとさき
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