》が三等室で、中央《まんなか》が一二等室、見ると後の三等室から、髪をマガレットに束《つか》ねた夕闇に雪を欺《あざむ》くような乙女の半身が現われた。今玉のような腕《かいな》をさし伸べて戸の鍵《ラッチ》をはずそうとしている。
「高谷《たかや》千代子!」私は思わず心に叫んだが胸は何となく安からぬ波に騒いだ。
大槻はツカツカと前へ進んだと思うと高谷の室の戸をグッと開けてやる。縫上げのたっぷりとした中形の浴衣《ゆかた》に帯を小さく結んで、幅広のリボンを二段に束ねた千代子の小柄な姿がプラットホームに現われたが、ちょっと大槻に会釈《えしゃく》してそのまま階段の方に歩む。手には元禄模様の華美《はで》な袋にバイオリンを入れて、水色絹に琥珀《こはく》の柄の付いた小形の洋傘《こうもり》を提《さ》げている。
大槻はすぐ室に入ったが、今度はまた車窓から半身を出して、自分で戸の鍵をかった。千代子はほかの客に押されて私の立っている横手を袖《そで》の触れるほどにして行く、私はいたく身を羞《は》じてちょっと体躯《からだ》を横にしたがその途端に千代子は星のような瞳《ひとみ》をちょっと私の方にうつした。
汽車はこの時もう動いていた、大槻の乗っている三等室がプラットホームを歩いている千代子の前を横ぎる時、千代子はその美しい顔をそむけて横を見た。
「マア大槻という奴《やつ》は何といういけ好かない男だろう」私はこう思いながら、ぼんやりとして佇《たたず》むと、千代子の大理石のように白い素顔、露のこぼれるような瞳、口もとに言いようのない一種の愛嬌《あいきょう》をたたえて大槻に会釈した時のあでやかさ、その心象《まぼろし》がありありと眼に映って私は恐ろしい底ひしられぬ嫉妬《ねたみ》の谷に陥った。
「藤岡! 閉塞を忘れちゃあ困るよ、何をぼんやりとしているかね」
駅長のおだやかな声が聞えた。私があわてて振り向くと駅長はニッコリ笑っていた、私はもしやこの人に私のあさましい心の底を見抜かれたのではあるまいかと思うと、もうたまらなくなってコソコソと階壇を駆け上って、シグナルを上げた。
権之助坂《ごんのすけざか》のあたり、夕暮の煙が低くこめて、もしやと思ったその人の姿は影も見えない。
五
野にも、岡にも秋のけしきは満ち満ちて来た。
休暇《やすみ》の日の夕方、私は寂しさに堪えかねてそぞろに長峰の下宿を出
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