りかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。
風はピッタリやんでしまって、陰欝《いんうつ》な圧《お》しつけられるような夏雲に、夕照《ゆうやけ》の色の胸苦しい夕ぐれであった。
出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色《かばいろ》の夏菊の咲き繚れた、崖に近い柵《さく》の傍《そば》に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪《かみ》を油で綺麗《きれい》に分けた、なかなかの洒落者《しゃれもの》である。
山の手線はまだ単線で客車の運転はホンのわずかなので、私たちの労働《しごと》は外から見るほど忙しくはない。それに会社は私営と来ているので、官線の駅夫らが嘗《な》めるような規則攻めの苦しさは、私たちにないので、どっちかといえばマアのんきというほどであった。
私はどうした機会《はずみ》か大槻芳雄《おおつきよしお》という学生のことを思い浮べて、空想はとめどもなく私の胸に溢《あふ》れていた。大槻というのはこの停車場《ステーション》から毎朝、新宿まで定期券を利用してどこやらの美術学校に通うている二十歳《はたち》ばかりの青年である。丈《せい》はスラリとして痩型《やせぎす》の色の白い、張りのいい細目の男らしい、鼻の高い、私の眼からも惚《ほ》れ惚《ぼ》れとするような、嫉《ねた》ましいほどの美男子であった。
私は毎朝この青年の立派な姿を見るたびに、何ともいわれぬ羨《うらや》ましさと、また身の羞《はず》かしさとを覚えて、野鼠《のねずみ》のように物蔭《ものかげ》にかくれるのが常であった。永い間通っているものと見えて、駅長とは特別懇意でよく駅長室へ来ては巻煙草《まきたばこ》を燻《くす》べながら、高らかに外国語のことなどを語り合うているのを聞いた。
私の眼には立派な紳士の礼服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿よりも、この青年の背広の服を着た書生姿が言い知らず心を惹《ひ》いて堪えられない苦痛《くるしみ》であった。私は心から思うた、功名もいらない、富貴《ふうき》も用はない、けれどもただ一度この脂垢のしみた駅夫の服を脱いで学校へ通うてみたい……
ああ私の盛りはこんなことをして暮らしてしまうのか。
私は今ふと昔の小学校時代のことを想い出した。薄命な母と一しょに叔父《おじ》の宅《うち》に世話になっていたころ、私は小学
前へ
次へ
全40ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
白柳 秀湖 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング