それは兄だったのです。兄が波にさらわれたものと思いこんでいたものですから、私の心は喜びで跳びたちました、――が次の瞬間、この喜びはたちまち一変して恐怖となりました、――兄が私の耳もとに口をよせて一こと、『モスケー[#「モスケー」に傍点]・ストロムだ[#「ストロムだ」に傍点]!』と叫んだからです。
 そのときの私の心持がどんなものだったかは、誰にも決してわかりますまい。私はまるで猛烈な瘧《おこり》の発作におそわれたように、頭のてっぺんから足の爪先《つまさき》まで、がたがた震えました。私には兄がその一ことで言おうとしたことが十分よくわかりました、兄が私に知らせようとしたことがよくわかりました。船にいま吹きつけている風のために、私たちはストロムの渦巻《うずまき》の方へ押し流されることになっているのです、そしてもうどんなことも私たちを救うことができないのです!
 ストロムの海峡[#「海峡」に傍点]を渡るときにはいつでも、たといどんなに天気の穏やかなときでも、渦巻のずっと上手の方へ行って、それから滞潮《よどみ》のときを注意深くうかがって待っていなければならない、ということはお話ししましたね。――
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