めったにない。これでどうして、一面識もない私に逢おうなどと思ったろうと思われるほどだ[#「だ」は底本では「た」]。
 私は、新聞社の口が定らないので、しばらくのうちと思って、学校の先生が主幹している、或る経済雑誌の外国新聞の翻訳を受持つことになったが(私は早稲田の経済科の卒業生だ。)ふだんは家にいて、それをやっている。と、荻原は大抵わきに来て黙って坐ってレヴュー・オブ・レヴューの文学欄なんぞを、ひっくり返えして見ている。そのうちに、私も少し倦んでくると、
「面白いことでも書いてあるかい?」
 ときくと、
「さあ……」
 と言って、その雑誌をつき出す。もうしまいには言葉なんぞも、すっかりぞんざいに成っていたが、それはどちらかと言うと、私の方だけで、荻原の方はまだそう手軽には行かないのだ。そうして、何となく話をしていると、ときどきは珍らしく荻原の文学論が出る。
 荻原のは明らかにそれを指すものはないが、生存と言うことに向って、強い恐れを持っている、一種の霊魂教の信者だ。そして絶間《たえま》なしに空想から妄想の中をさまよっている。……かと思うと、夢のうちにでも見るような、とりとまりのない、美
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