だ足音がして、入って来て二人の顔を見ると、お八重は急にきょとんとした顔をして、膝をついたまま黙っている。
「おい、何か持って来ないか。」私は腹の中で笑いたかったが、ちょっと場合が変なので、強いてそれを押さえ付けてこう言うと、
「へえ?」
 いつになく、お八重は見当のつかぬ顔をする。
「何かを、持って来るんだよ、何だそんな面《つら》をして!」
「だって、あなた達の方がおかしいわ、にらみっくらしてるじゃありませんか。」女は心《しん》からこう言った。
「まあいいから、早く持って来い!」と言って、私は荻原の方を向きなおると、
「僕は九州で育ったもんですからね。寒い国のことはちっとも知りませんが、お国の方になると、景色なんぞも、ずっと変ってましょうね。」と言う。
「え、変っています。私の国じゃ、もう今頃からは、からっと晴れた空なんぞはめったに見られません。」
「へえ、じゃ陰鬱ですね。」私は、ちょっと眉に皺をよせる。
「陰鬱です。」
 不思議!……話がここになると荻原の眠っているような眼が、光って来る。音《おん》の促《そく》した、半分は口の中でどもってしまう、聞き取りにくい調子だが、どことなく、自ずから感に通じるところがある。……私は妙な機会から、妙な人に逢ったもんだと思った。
 そこへお八重が、菓子を持ってきたが、二人のあいだにそれを置くと、不思議そうな顔をして、ちょっと私達の顔を見て、このおしゃべりが、いつになく何にも言わずに出て行った。
「さ、いかがです。これでも此家《ここ》の例のビスケットではないから大丈夫です。食べて下さい。そしてお国の話でも聞かして下さいな。……だが、何か僕に用がおありだったのですか。それなら、その方から……」
 私はまだその用が気になっているので、こう言うと、荻原は少しあわてて、きまりの悪そうに顔を赤くした。そして何にも言わない。……また手持ち無沙汰になりそうだから、私もあわてて、
「それで、何ですか、林や森の感じなども、変ってるでしょうね。」と話をまたその方に持って行く。すると荻原は遠慮した顔をしながらも、気が乗って来て、
「胡桃林《くるみばやし》が多いのです。もすこしして、十月の中ごろになって林の中にいると、胡桃の果が枯れ草の上に、ぼたり、ぼたりと落ちるのが、実に淋しい音です。」
「私なんぞは、胡桃の林なんて見た事もありませんよ。……それはそう
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