と奥にいらっしゃいよ。」
と言うと、やっと、私の前にいざり寄った。
私は何の用かと待ちかまえていたが、相手が何にも言い出そうとせぬから、
「何か御用ですか?」
とこちらから切り出した。すると、一寸あわててどもりながら、
「いいえ、別に用ではないのです。」
と言う。成程アクセントの強い、聞き取りにくい言葉だ。
私はちょっと拍子ぬけがして、相手の顔をまじまじ見ていた。幅が広くまるい、輪廓のぼんやりした顔に、細い眠っているような目をしている。口も小さい。色が黒く、皮膚が荒い。何か重いものでも始終脊負わされて押し付けられて、育って来た人のようだ。
私は手持ち無沙汰なのをまぎらすために、
「お国はどちらです。」
と聞いた。すると、荻原は、
「え?…国ですか、国は花巻の方です。」
と言ったが、私には充分に聞き取れなかった。
「どちらですって?」
「花巻。」
「え?」
「花巻。」少し声が鼻にかかる。
「え?」
まだ聞き取れないので、聞きなおすと、きまりの悪るそうな顔をして口をつぐんでしまったが、しばらくすると、
「盛岡の方です。」
「あ、そうですか、では寒い方? そうですね。」
「え、そうです。」
それで話がとぎれたが、話しをしていると、こっちが苦しくって仕様がない程、言葉が引っかかる。するとその度に、唇を曲げて、からだ全体に力を入れるようにする。それで自然、話がぼつりぽつりととだえ勝ちになる。
私はまだこの男が何の用事を言い出すかと思って、その方を心では待っている。で、話がとぎれると、もう言い出すかと思って相手の顔を見る。しかし別にそんな気《け》ぶりもなく、曇った日のような顔色をして、私に見つめられると、気の毒なくらい、眼のやり場に困って、もじもじしている。――それでつい又わけもない話をはじめる。
「失礼ですが、君は学校はどちらです?」私は風采[#「風采」は底本では「風釆」]から推して大方、日本大学の法律科とでも言うかと思っていると、
「学校ですか? 学校は早稲田の文科です。」
と言う。
「あ、そうですか、いつ御卒業です?」
「来年の春です。」
「じゃ、もうおいそがしいですね。」
「え、え。」
話は又ぽつりと絶えてしまう。二人ともまじまじしている。私は、とうとう手持ち無沙汰に困まってしまって、何かなしに手を拍《う》って、お八重を呼んだ。ばたばたはしゃい
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