に声をかけると、ピシリと馬の尻を打った。ガタリと大きく揺れると、悪いぬかるみのなかを駆け出した。私達は急にからだの均衡をうしなう程だった。

     六

 白々と薄日の射した空の下を、馬車は慌てたように駆けて行く。M村を離れると、道はしだいに山の裾に向っていた。
 馬車が動き出すとやがて、なかでは膝を譲りやって、座が落ちついた。誰とも顔を見合わせるが、私は打解けて話そうとせぬ。すると、インバネスが、松蘿を持った二人に、
「今日は馬車が、込みまっしろうが?」と聞いた。
「めずらしく乗る人が多かったとかで、昨夜申込んだ人だけしか乗せぬと言っていました。」と、その一人が答えた。
「それでも、私等はここではどんな無理を言うても、乗せてくれるのさ。今日なども、私等のために乗せられなかった人があったろう。」イムバネスは得意らしく言った。
 私はその言葉を聞くと不快を感じた。土地の人の専横な行為が、勝手を知らぬ旅人に、こうして、不便な目に逢わせるのか、と思って、その男の顔を見据えた。イムバネスはなお自分がこの土地で勢力のあると言うことを話している。そのうちに馬車は次に上《かみ》M村の方に近い山に沿った道にすすんだ。自分はその話を聞きながら、その男に対する反抗心が盛んになった。
 上M村を通り過ぎると、道は深い渓に沿った山の中腹を廻っている。
「いいえ、私は学校の方には関係はありません。」
「そうですか。」
 判事さんは、私が学校の教員ででもあるように思ったらしい。それから職業のことを聞かれた。私は自分の、ちょっと人に言っても分りにくい職業の話をした。
 この対話で、かたわらの話は少し圧えられたらしい。八つの目は私達の方に向っていた。が、私と判事さんとが、その人達と関係のなさそうな様子をして話していると、イムバネスは急に気負い立ったように、大きい声を出して話をつづけた。その話は田舎の議論家らしくついに議会のことの上に行き、政治上のことにまで及んだ。判事さんは始終、にがにがしい笑いを顔のどこかに見せていた。そして、私達は超然とした調子で、低い声を出して、切れ切れに話をした。
 道はますます山の中にはいった。
 私は判事さんにこの地方の犯罪の種類について二つ三つ話を聞いた。この人はM市から、折々この地方に出張して、T町の裁判所にくる人であると言うことだ。まだこの地方に来はじめてから時が経たぬからと言うので、この地方のことにはくわしくないがと言いながら、二つ三つ、話を聞かしてくれた。
 私は犯罪の種類、内容などによって、その地方の文明、感情、その他種々のことが研究されると思いながら、深い興味をもってその話を聞いた。
 その話にはこんなことがあった。この地方には放火などが、非常に重罪であると言うことを知らず、ばかばかしい、例えば昼飯をくれぬから、と言うくらいのことから、放火をしたものがあるとか、又は迷信が強く、狐憑《きつねつき》だと言って、狂人を焼き殺したと言うようなことがある、などと。
 私は窓に倚りかかりながら、対岸の広い山腹を見ながら、この話を聞いた。しずかな眠りの深い冬から、まだ覚めていない、この四辺の光景を見ていながら、この話から、都会の人と、田舎の人との神経について考えた。やがて、
「どうでしょう。都会の人と、田舎の人とどっちが残酷なことをするでしょう?」と聞いた。
「それは田舎の方ですね。」と判事さんは言下に答えた。
「私には、都会の方のように思われるのですが……」
「なぜ?」
「やはり、無智の人の方が残酷ですかね。」
「残酷って言うことを知らないからでしょう。」私の考えと、判事さんの話とは、少し齟齬《そご》するところがあった。私の考えでは、都会の人は神経が糜爛《びらん》しているように思えた。したがってその行為の方が複雑で残酷だと思われたのだ。
 と、馬車がとまった。峠を上り詰めたようなところだった。道は渓から離れて、小広い平なところになっている。
 馬車がとまると、小屋の中から男が待ち兼ねたように飛んで出て来た。イムバネスはこれを見て二三度頭を下げた。イムバネスの乗っている下に来ると、
「和尚さん!」とあらためて呼んで、紙にもつつまない五円紙弊をイムバネスに渡した。イムバネスがそれを受取ると、その男は別に二十銭銀貨を一つ出して、
「これは御布施で。」と言った。
「イエ、イエ」とイムバネスはそれを押し返したが、とうとう幾度か頭を下げて、それを受取った。
 私はそれを見てこの男は坊主かと思った。
 馬車はまた動き出した。イムバネスの饒舌《おしゃべり》はなお続いた。
 やがてM村に着いた。ここは馬車の乗り継ぎどころである。
 時計を出して見ると、もう三時になっていた。空にはどことなく日がまわったらしい色が見えた。
 乗客はそわそわして降りた。私達の馬車に続いた馬車からは、いろいろの人が降りた。判事さんは二三人の人に出迎えられていそがしそうに挨拶をすると、行ってしまった。私はくる時に、休んだおぼえのある家の門に立って道の方を見ていた。S君がもしや来はせぬかと思いながら……。
 私が目指しているH町からの馬車はまだこぬと言うことだ。宿のものは、いったい、今は道が非常に悪いので、いつくるか分らぬと言っている。私は路傍に投げ出されて、残されているような気がした。そして門に立ったままでいた。
 すると、つっとS君が自分の前に立った。
「や!」と私は驚いて言った。
「いま着いたですか?」
「うん。だが、Hからの馬車がまだこないのだって、今夜はおそくなるね。」
「そう。……じゃ、ここにお泊りなさい。」
 と言うようなことを話し合いながら、二人は二階にあがった。宿の娘はついて来て炬燵に火を入れてくれた。二人はそこで食事をしながら話した。
「僕はもうくる道で、幾度も泣きたくなった。」とS君が言った。
「僕は近路をしようと思ってくると、山はまだ雪が一ぱいでした。そこでたった一人郵便配達夫がくるのにあったが、そのほかには人一人通らなかった。雪の中に細い道が一条、人がね、踏んで行った跡があるっきりさ。僕はそこに立って、しみじみと泣きたくなった。母のことを思ったり、家のことを思ったりすると、胸がいっぱいになって来て、もうたまらなくなった。いっそ引き返そう。引き返して、母に詫びてこようかと思ったがね。それでもいろいろのことを思いながら、とうとうここまで来てしまった。」私は黙ってそれを聞いた。心にはその雪の中の細い道が浮んでいた。
 S君の涙は、私にはよく感じられた。S君が家を出る時に、曇った顔が涙になったのだ。しかし、私達はこう話し合いながら今はただ前途を――東京を――思わずにはいられなんだ。
 それで、二人はここでひとまず又別れ、S君は馬車に乗ってH町の方に行くこととなった。
 しばらくすると二人は互いに、
「ではH町で。」と言い合って、S君は二階を下り、馬車に乗った。そのあと、私はただ一人ぼんやりと炬燵に当りながら、いつくるか知れぬH町の馬車を待っていた。やがて、昨夜の睡眠不足と、今朝から馬車に揺られたのとで、つい眠り入ってしまった。



底本:「遠野へ」葉舟会
   1987(昭和62)年4月25日発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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