。
すると、気も取りもどされて来た。仕残してあった仕事に急に手をつけだした。そして二人ともなんとなしに、東京のはなやかな夜や、情を含んだはでな女の言葉を懐しく思い出した。
都会の賑やかさが、暖かく、明るく、媚びられるように、胸に浮かぶ。
二
三月三十日――荷造りをしているうちにひるごろになった。永いこと、床の間の隅に置いてあったカバンの一つには、又一杯に手廻りのものが詰められた。一つの方には、東京への土産にと言って、S君の家でとれた胡桃《くるみ》を風呂敷に包んでどっさり入れた。さげると穀がすれて堅いカラカラいう音がする。
で、改めて坐った。天井の高い、薄暗い、広い寺の堂のような室のなかを、私は心残りがするように見廻わした。隣りの室とのあいだの障子が開いていた。いろいろのものが、積み込んである、田舎家の住居が見える。燻《くす》ぶった、黒い暗い室の奥の方に、爐に赤く火の燃えるのが見える。私はこの爐の辺で一生を送る人、送った人の身の上を思った。
そこへ、S君の阿母《おっか》さんが新しく茶を入れて持ってこられた。私はもうそわついた心がすっかり落ちついて、かえって一と月も
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