ざわ》」と、商人体の男が言った。
 また一しきり走ると、やがて馬車がとまった。
「休むのかね?」と中から聞くと、「ちょっと一休みしてから。」と雪に吹きつけられたような声で由爺が答えて馭者台を降りてしまった。私もそとに出た。
 馬車の響きが止ると、四辺《あたり》がしんとなる。どこかで遠く水の流れる音がする。雪の中に立って四辺を見ると、私達はいつか広い野に出ていた。迫っていた山が離れて、黒い巨大な影が雪の中に屏風のように聳えている。その裾野のところどころから火が見える。雪の中に火がぽっと赤く隈どっている。
 私は深く胸の奥で呼吸をした。
「ああ、神話がいま現実に生きているような国」と或る人が、遠野の話を聞きながら言った言葉を思い出した。
 後の馬車では誰れも降りなかった。雪の降る中に、笑い声もしない。また馬車に乗った。遠野まではあと一里半だ。道は平らな広い暗い野の中についているらしい。
 垂幕が風にあおられるあいだからは、あとの馭者台についている小さなランプの火に照らされて、雪が狂って降ってくるのが見えるだけ、その路を一時間ばかりも駆けたと思うと、馬車が止った。
 後の方で、不意に、
「さ
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