くように思った。
 それで、いつから来ている人かと聞くと、昨夜私と一緒に来た人だと言った。ではあの紋付か?

 やがて二人はまた出て行った。私はその足音を聞きながら、紋付がこの町の婦人達の前でする饒舌を想像した。
 日の暮れ方に野口君が来た。二人で顔を見合わせると野口君は私の着く時日の違った不平を言った。私は来て見ると思ったよりも田舎だと言った。
 そのうちに隣りでも帰って来たらしい。いつか話がはじまっている。折ふし、
「もう占めたものだ。明日愛国婦人会の幹部が集まりさえすればそれからはいくらでも話が進む。」とか、「郡長の夫人《おくさん》はあれでなかなか分ってるぞ。」とか、「君は明日役場に行って、も一度愛国婦人会の名簿を借りて名をうつしたまえ。」など言うのが聞こえた。
 高調子の男の語調はかつて伊勢から来ていた友人とそっくりだ。
 私はその夜、野口君から野口君の友人達が集まって私と話そうと計画しているということを聞いた。

     五

 次の朝、私がまだ寝ているうちから、野口君が来た。二人はしきりと別れたのちの話をしながら、町を歩いた。
 私のする話……われわれの友人達の消息や、或るとき、互いに出逢って話し合った話などを話していると、野口君は熱心に聞いていながら、どこか妙にそわつい[#「そわつい」に傍点]た調子を見せ出した。やがて、
「ね君、ね。僕こんなところに来ていると心寂しくって、……気が苛立ってたまらない。Hはそんなに勉強してるかね。」と急《せ》ぎ込んでいる。
「勉強しているよ。この秋までには必ず例の論文を書くと言っている。」
「いつかの『海運史』かい?」これを聞くと私は野口君の顔を振り返えって、大きく笑って、
「どうしたんだい。オイ。」と言った。
 それで野口君もはっとしたと見えて、夢でも覚めたように声を出して笑った。私は、
「何だ、君のは熱の病人見たいな笑い声じゃないか。」と言うと、
「ああ、つい釣り込まれちゃった。東京に行きたい。ねえ!」と言って私の肩を打った。
「行こうよ。」私は調子よく言ってしまった。野口君はしばらく沈んでいたが、
「東京は夜でも明るいやね。それにあの華々しい女の声が聞きたい。」と言って、冗談《じょうだん》らしく笑った。
こうして話しているうちに、私達はいつか町はずれの松並木の前に出ていた。

 夕方、私は一人でぽつねんと食事をしていると、隣りの人達が帰って来た。「ああ、弱ったね。今日は!」と室に入るとまず重荷をおろしたと言った調子で一人が言った。例の紋付だ。
「いや、実に君の手腕には敬服した。実に君は外交家だ。」と一人が感嘆した。
「なに、ああやらねばいけないんだ。女の集まったところでは、一方ではああやって煽動《おだて》て置いてね、承知してもしなくっても、話をずんずん進めて行かないと、ことはまとまらないからね。‥‥だけれど君、うまく行った。郡長の夫人はさすがよく分ってる。そりゃ経験のある人の言うようにしなければって、さすがだね、あれは分ってるよ。」
 一人の方はただうなずいている様子だ。
「ああ良く行ったね。これも全く君、郡長の夫人の盡力だよ。それでね、君は明日はね、昨日うつして置いた名簿を持って行って、会員のところを訪問するんだ。するとね、君、大抵の家では主人が留守だからと言ってことわるからね。行くと、誰か出てくるね、その時にすぐ郡長の夫人から参りましたがと、やってしまうんだ。そうすれば誰でも郡長の夫人だからすぐ逢うからね。その時にこれこれだと言い出すんだ。すればきっと一枚や二枚はいやだと言えないじゃないか。」
「成程!」と、一人が深く感じたように小声で言った。
「女ってものは君、名誉心が強いね。今日で見たまえ。あの若い細君が、小学校の先生が発起人に名を出すなら、私のも出せと言ったじゃないか。あれだからこんどでも、すぐまとまったのだ。」
「それで」と急に言葉を改めて、「明日は切符を印刷しなければ、白と青と、赤と、……君、ここでは(と声を低くした)まだ音楽会などをしたことはないと見えるね。入場券を五十銭、二十銭と言ったら皆で反対したではないか。十五銭、十銭、五銭にするなんて……」
 その時に膳を運んで来たと見えて、話は止んだ。私は例の紋付の赭《あか》い面《つら》を思い浮べた。

 夜、私は室で野口君や、その友人のくるのを待って[#「待って」は底本では「持って」]いた。
 食事がすむと、隣りではまた話がはじまった。のびのびした調子で互いに生国や、若い時分の――二人とも四十三とか五と言っていた。――ことを話し出した。一人の男は信州で生まれて東京で育ったといっていた。
「僕も長く東京にいた。」と伊勢の男は自慢らしく言った。
 そのうちに、私の室には三人の客が来た。みな野口君や私と同年ぐらいの人だ
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