怨霊という様なものが残るので、それにその人自身の全勢力が集注《しゅうちゅう》して、或《ある》場合に於《おい》て、必ずこの世に現れるものだといっていたが、この事は或《ある》程度に於て、信じられそうな説だと思う。元来僧侶というものは、こんな事を平気で、談《はな》すので、或《ある》僧の談《はなし》によると、所謂《いわゆる》寺の亡者が知らせに来る場合には、必ずその人の生前の性質が現れる、例えば気の荒い人だったらば、鉦《かね》の叩き様《よう》が頗《すこぶ》る荒っぽいそうだし、温和な人ならば、至極《しごく》静かに知らせるといっていたが、それは兎《と》に角《かく》何《いず》れの僧侶に訊ねても、この寺へ知らせに来るというのは、真実のものらしい。要するに、是等《これら》のことは、凡《すべ》てまだその人が活きている時の、精神的感応であるから、決して怪談ではなかろうというのである。
 議論は兎《と》に角《かく》として、私もこの方向には、頗《すこぶ》る興味を持っている。否《いな》近頃では、それ以上で、実は熱心に一つ研究をしてみようかと考えているくらいだ。しかし幸か不幸か、まだ自分には、まるで実見《じっけん》が
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