テレパシー
水野葉舟

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)中《うち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)十町|許《ばかり》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)その人が 或る[#「 或る」はママ]
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 怪談の中《うち》でも、人間が死ぬ断末魔《だんまつま》の刹那《せつな》に遠く離れて居《い》る、親しい者へ、知らせるというのは、決して怪談というべき類《るい》では無かろうと思う、これは立派な精神的作用で、矢張《やっぱり》一種のテレパシーなのだ。
 私の知ってる女で、好んで心理学の書を読んでいた人があったが、その女の談《はなし》に、或《ある》時、その女が自分の親友と二人遠く離れて居て、二人の相互の感情が通《かよ》うものか、如何《どう》か、一つ実験をしようと、前《ぜん》以《もっ》て約束をして、それから後《のち》、お互《たがい》に憶出《おもいだ》した時、その月日と時刻とを記しておいて、後《のち》になって、それを互《たがい》に合《あわ》してみると、その中《うち》の十中の六までは、その相互の感情が、ひったり一致をしていたそうだ。元来女の性質は単純《シンプル》な物事に信じ易いものだから、尚更《なおさら》こういうことが、著《いちじ》るしく現われるかもしれぬ。それが為《た》めか、かの市巫《いちこ》といったものは如何《いかに》も昔から女の方が多いようだ。
 また曾《かつ》て、或《ある》老僧の幽霊観を聞いた事があったが、それは、人がもし死ぬという瞬間には、その人の過去に経て来た、一生涯の光景が、必ずその人自身の眼先《めさき》に見えるものだと、いっていたが、丁度《ちょうど》これと同様な話を、その後《のち》にまたある知己《ちき》からも聞いた事があった。それは、その人が 或る[#「 或る」はママ]闇夜《あんや》に道を歩いていて、突然知らずに、高い土手の上から辷《すべ》り落ちたそうだが、その際土手を辷《すべ》り落ちて行く瞬間に、矢張《やっぱり》その人自身の過去の光景が、眼に映ったといっていた。そして尚《なお》老僧のいうのには、その場合その人自身の頭脳《あたま》に、何か一つ残るものがあって、それは各人に依《よ》って異《ことな》るが、もしも愛着心《あいじゃくしん》の強い人ならば、それが残ろうし、恨悔《くや》しい念があったらば、怨霊という様なものが残るので、それにその人自身の全勢力が集注《しゅうちゅう》して、或《ある》場合に於《おい》て、必ずこの世に現れるものだといっていたが、この事は或《ある》程度に於て、信じられそうな説だと思う。元来僧侶というものは、こんな事を平気で、談《はな》すので、或《ある》僧の談《はなし》によると、所謂《いわゆる》寺の亡者が知らせに来る場合には、必ずその人の生前の性質が現れる、例えば気の荒い人だったらば、鉦《かね》の叩き様《よう》が頗《すこぶ》る荒っぽいそうだし、温和な人ならば、至極《しごく》静かに知らせるといっていたが、それは兎《と》に角《かく》何《いず》れの僧侶に訊ねても、この寺へ知らせに来るというのは、真実のものらしい。要するに、是等《これら》のことは、凡《すべ》てまだその人が活きている時の、精神的感応であるから、決して怪談ではなかろうというのである。
 議論は兎《と》に角《かく》として、私もこの方向には、頗《すこぶ》る興味を持っている。否《いな》近頃では、それ以上で、実は熱心に一つ研究をしてみようかと考えているくらいだ。しかし幸か不幸か、まだ自分には、まるで実見《じっけん》がないが、色々他人から聴いたのを、少し談《はな》してみよう。
 東北《とうほく》地方は一躰《いったい》は関西《かんさい》地方や四国《しこく》九州《きゅうしゅう》の辺と異《ちが》って、何だか薄暗い、如何《いか》にも幽霊が出そうな地方だが、私がこの夏行った、陸中国遠野郷《りくちゅうのくにとおのごう》の近辺《あたり》も、一般に昔からの伝説などが多くあるところだ。此処《ここ》で聞いた談《はなし》に、或《ある》時その近在のさる豪家《ごうか》の娘が病気で、最早《もう》危篤という時に、その家《や》の若者が、其処《そこ》から十町|許《ばかり》もある遠野町へ薬を買いに行った、時はもう夜の九時頃のことで、月が朧《おぼろ》の晩であった。若者も大急ぎに町へ出て、その薬を求めて、主家《しゅか》の方へ戻って来る途中、其処《そこ》は山の裾《すそ》を廻る道なので右の方が松林で、左が田畝《たんぼ》になっているのであるが、彼はその途《みち》を一人急いで、娘のことなど考えながらやって来ると、突然|行手《ゆくて》の林の中にある岩の上に白いものが見える。「おや何かしらん」と怪《あやし》みつつ漸々《ようよう》にその傍《わき》へ近付
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