は、白金の粉が宿っていた。十一時渋池、十二時大曲。ふりかえるごとに、山々が数をます。並んでいるのが穂高の三峰、かなたが御嶽《おんたけ》。雪は次第次第に深くなった。もう人の足跡はない。兎の足あとらしい三つ指ついたのが、かなたの谷へ、長く長く引いている。足の甲だけが雪に埋《うず》まったのは、とうの前。雪は脛《すね》に及び、膝に及び、腿《もも》におよび、あらぬ所に足ふみこめば、腰にすら及ばんとする。M君がさす金剛杖の手許《てもと》わずかに残る所もあった。夏ならば何なるまじき境、しかも冬の信濃の山は、一歩ごとに私の知らぬ世界であった。私たちはただもう進む。案内者は、いつか先へいってしまった。足の弱い私をまもりつつ、後からM君が気づかわしそうに辿《たど》る。足は滑る、金剛杖は流れる。雪の上ならで、雪の中を滑るのだから、きわめて緩《ゆるや》かに、左手の谷へとおちてゆく。おちるなおちるなと思っても足がとまらぬ。それが滑稽《こっけい》でもあり、無念でもある。もう五千尺以上の高み、それに尾根ゆえ、これという樹も育たぬ。灌木は雪にうもれて、手がかりにならぬ。それでも、どうやら踏止まった。私たちは袴越《はかまごし》山(五千七百八十尺)の胸のあたりをとおっていたのだ。前面とおくに、ちらとした雪の山、あとで、それを赤石だときいた。踏みこめば、ずぶりと穴のあく、ぱさぱさの雪、その雪の穴から足を抜いては、またまえの銀世界に穴をあけて、膝をするようにしてゆく。疲れたと見える。幾度か転んで、M君をひやひやさせた。かくして三時ちかく峠の小舎《こや》にたどりついた。海抜六千尺。小舎は富士などの室のように、山かげに風をさけた細長い一つ家だった。荷をおいて迎えに来た案内者につれられてはいったが、榾火《ほたび》のめらめらと燃えあがるのを見るだけで、あたりが暗い。白雪《しらゆき》の中から来た私たちの眼は、屋内の幽《かす》かな光になれるまで、何をも識別し得なかった。
 M君が、「あああすこに人がいる」という。それが、ここで蚕《かいこ》の種紙をまもっている番人の爺さんだった。柴をくべ、もって来た餅を焼いてたべる。「お爺さん、何か食べるものがあるかね」。「何もありましねえ」。それでも、たまりをお小皿についでくれた。マタタビの実をも出してくれた。「猫になるかな」と言いながら、私は手のひらに受けた。私たちは幾杯となく、わ
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