い。従つて之を賽の神に縁ありとする柳田国男氏の説もうなづける。「丘山は卑きを積んで高きをなす」(荘子)だの、「泰山は土石を辞せず、故によくその高きをなす」(管子)だのいふおもひの背景は、何であつたらう。それはすぐ断定もしがたいけれど、山や丘は、その低くなるのを忌む。それで富士などのやうに、山から落ちる砂が夜の間に山にのぼりゆくといふ想もあつたり、石巻山などのやうに、参詣の者は小石を山上に運ぶといふならはしもある。
昔の村の境に、坂のあたりに土石を運びおくといふのは、そこを一の関とするので、恐らく他《あだ》し人と他し神とを防いで、越え難からしめようとするのであつたらう。それが山や丘の低くなるのを厭ふ、威力の衰ろへるのを忌むのと、糸を引いてをるかもしれぬ。さういふ境――しば/\峠やうの地点で、人は神を祭り、幣を奉つた。「この度は幣もとりあへず手向山」とよんだ菅家より、民衆はその信仰に忠実であつたらう。そして両山相接するといふ地形からか、どうか、子なきものは子を授けたまへと、そこで祈り、子をなくした者は、今度の子の健かならんことを祈つたであらう。坂ならぬ境でも、さういふ祭はあつた。
支那
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
別所 梅之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング