石を積む
別所梅之助

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)水俣《みなまた》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)しば/\
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 徳富蘇峰先生の「鎮西遊記」の中に、水俣《みなまた》は昔から風俗のよい処、高山彦九郎が蘇峰先生の曽祖父につれられて、陣の坂を通るをり、道端の大石に、小石が山のやうに積みあげてあるのを見て不審したら、先生の曽祖父は旅人の不便を思うて、里人が道のべの小石を拾うたのだと答へた。彦九郎はそれを聴いて良風美俗、田舎に残れりと感心したといふ意味の文がある。
 小石を道のべの大石の上に積むのが、果して旅人の足を傷めまいとする倫理から出たのであらうか。土地の人がさういつたとて、そのままに受けてよいか。私はそれを宗教的の感情からだと思ふ。東京にしても、地蔵様の足許に小石を積む。目黒のどこかの坂でも、小石で石仏の埋まる程のを見た事がある。人工を経たのでない自然石でも、ただの丸石でも、拝まれる事がある。陸の奥の信夫もぢ摺石なり、佐夜の中山の夜泣石なり、今ならば何でもないごろた石でも、昔はそれを霊ありとしたのであらう。そして石の神様は人の子を守るとも思はれた。道のべにさういふ石があれば、人々はおほかた小石をそなへるらしい。
 私どもが山へゆけば、案内者は道の心おぼえに、大きい石の上に小石を積む。これが賽の神に石を手向けた名残か、どうか知らねど、蔵王山の賽の河原の石積みは、正しく御仏に縁を結ばうとするのであらう。賽の河原といふ所は、蔵王のみか、箱根にもあり、浅間山にもある。日本は火山の多いからでもあらうが、私の狭い山の旅ですら、そこでも此処でも、賽の河原と名のつく焼石原を踏んだ。いや賽の河原は、海べにもある。さういふ所では、大抵、石を積む。私など子どもの時、恐しいので嫌ひであつた地獄絵のからくりでも、「一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為」とか、子どもが石をつむ。無慈悲な鬼がそばからこはす、子どもが泣く。地蔵様が慰めて下さる。
 大きい石の上に石を積むのみか、洞穴などの廻りにも積む。現に蘇峰先生の名となつた阿蘇の火口のほとりに、参詣者たちは岩やら石やらを積み重ねる。これが讚岐に残つてゐる古墳、積石塚などとどういふ関係があるか、私は知らぬ。なにせよ小石をつむやうな所は、里遠からぬ地では、坂路などに多
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