い。従つて之を賽の神に縁ありとする柳田国男氏の説もうなづける。「丘山は卑きを積んで高きをなす」(荘子)だの、「泰山は土石を辞せず、故によくその高きをなす」(管子)だのいふおもひの背景は、何であつたらう。それはすぐ断定もしがたいけれど、山や丘は、その低くなるのを忌む。それで富士などのやうに、山から落ちる砂が夜の間に山にのぼりゆくといふ想もあつたり、石巻山などのやうに、参詣の者は小石を山上に運ぶといふならはしもある。
 昔の村の境に、坂のあたりに土石を運びおくといふのは、そこを一の関とするので、恐らく他《あだ》し人と他し神とを防いで、越え難からしめようとするのであつたらう。それが山や丘の低くなるのを厭ふ、威力の衰ろへるのを忌むのと、糸を引いてをるかもしれぬ。さういふ境――しば/\峠やうの地点で、人は神を祭り、幣を奉つた。「この度は幣もとりあへず手向山」とよんだ菅家より、民衆はその信仰に忠実であつたらう。そして両山相接するといふ地形からか、どうか、子なきものは子を授けたまへと、そこで祈り、子をなくした者は、今度の子の健かならんことを祈つたであらう。坂ならぬ境でも、さういふ祭はあつた。
 支那の小説に出てくる城隍道では、どうか知らぬが、朝鮮の城隍道は、村の入口や山の登り口にある。往き来の人は、そこに石を一つ/\投げ、左足で三度地を踏みつけ、唾を三度吐きかけてゆく。話では太公望の妻が貧しきを厭うて夫を棄てた後、もとの夫があの様に斉の君となつたので、再び妻たらん事を請うた。太公望は覆水の盆にかへらぬを示して拒けたので、女は恥ぢて死んだ。そして鬼神となつた。人が唾を吐くのも、石を投げるのも、その罪を滅してやらうとするので、さうせねば祟りがあるとか。城隍神は女の信仰する神であり、情事をかなへてくれる神であり、子を授けてくれる神であるといふ。さうすると太公望云々といふ説明を除けば、あとは日本の村境や、峠に祭られる神の姿である。そこでは生と死とが行きかふ。後の代の旅人は、前の代の旅人の跡を弔うて、己が幸《さち》を希ふ。これはお墓に、人々がおの/\土をかけるのとも縁があらう。(なほ「聖書民俗考」で、もすこし書きたい。)
 水俣の人の律儀なのは喜ばしい。然し大きい石の上に小石を積むのを、美風だと解釈するのは、やや里人の心とは離れてゐまいか。蘇峰先生が故郷の事をかくのに、他から違つてゐるなど
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