かりや残るらん』とこの一番が終る時、誰もほつと一息ついて痛ましい詩の恍惚境から目覚めるの感があるであらう。ツレもシテも幕の内に入つて仕舞つても、観客の耳には永劫に吹く風と波の声が残るであらう。掛橋を独り帰つてゆく旅僧を見て、誰もその寂しい姿に打たれるであらう。
『痛はしやその身は土中に埋もれぬれど名は残る世のしるしとて、変らぬ色の松一本、緑の秋を残す事のあはれさよ』と諸国一見の旅僧が歌ふ時、諸君は薄暮が須磨の海岸を包み始めると想像せねばならない。想像は不思議な魔法使だ。私共はその杖に触れて、静かな青白い寂しい月が天に上つてゐると想像する……『松風』の一番はいよいよ始まる。眼前に見る二人の女性は松風と村雨である。彼等は葛、葛帯、箔、腰巻、腰帯、白水衣の装をして掛橋で向き向ひ、『汐汲車わづかなる』と同音で歌ひ出す。正面を向つて村雨は『波ここもとや須磨の浦』と歌ふと、松風も一緒になつて『月さへぬらす袂かな』と歌ひ終り、両人が向き合ふ……ああ、このたつぷり溢れる情趣は到底言葉で語られない。詩的なこの一番は最も麗はしく始まる一篇の詩劇である。私はここでいつて置く……能楽(能劇といつてもよい)の真
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