く跡の山見えて、花を見すつる雁金のそれは越路、我はまた東に帰る名残かな、名残かな』と地謡は歌ひ終つて、この艶麗憂愁を極める能楽の一番は終るのである。
 いな終つてゐない……私共は頭をあげて橋掛を眺める。そこに能を終つて橋掛から楽屋へ向ふ熊野がゐる……熊野はまだ劇中の女主人公である。私共の頭にはまだ謡の音律が響いてゐる。橋掛を歩む熊野の歩みは遅い……劇を終つてもまだ劇中の熊野である。喜多六平太でも梅若万三郎でもない。私共は彼女が東路に病む母を思ひながら、北へ帰る雁金の後を追つてゆくやうに感ずる。私共は、子供の恐ろしい親指を離れた蝶々のやうな熊野の自由を眺めて、自分共の心も晴れ渡つたやうに感ずる……私共は熊野が上幕の後へかくれて見えなくなつた時、始めて緊張して強張つた両方の肩が、急に楽になるやうに感ずるのである。さうして其処で、この能『熊野』は始めて終結を告げるのである。
 私はこの橋掛を抜きにして能楽を考へることが出来ない。私は考証に趣味を持つ専門家でないから、この橋掛が能楽の最初からあつたものか、また幾変化を経て今日のやうな形式になつたものかは知らない。私はただ長いものになると、十間以
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