は大夫の申し条道理なりとあつて、若年寄はさらに舞台へ昇り橋懸へ行き、幕に向ひ片膝ついて声をかけ、漸く幕を上げたといふ。
今一つは私の祖父の廿二観世音大夫清孝が、尾州候で「翁」を勤めた時、上るべきはずの正面の御簾が下りたまゝだつたので楽屋から「今日の翁に、吉例にたがい正面の御簾が上がらなかつたのはいかなる子細によりませうや」といふ意味の伺ひを立てたところ、「聊か御不快だつたので御簾のうちから御覧になつた」由の御挨拶があつたと聞く。この御簾を捲いて御覧になるのは「翁」に限られたことで他の能の場合は別に捲き上げられぬようであつたといふ。かういつた調子で「翁」は能であつて能でなく一種の式典として扱はれてゐたのである。
だから演奏する方でも、非常に厳粛な態度をもつてする。昔は勿論のこと現在でも、みな前もつて別火潔斎して、身を浄め心を直くし、当日は楽屋へ壇を築き、翁面を安置し、神酒と洗米を供へ、これを大夫以下順次に頂戴して舞台へ出る。橋懸を歩むにも方式がある。大夫は舞台正面に出て坐つて礼をなし、以下も舞台の入口シテ柱で正面へ礼をする。これは昔の神前あるひは君候の前に、敬意を表する名残であつて、
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