」は家の先祖観阿弥清次が応安の昔初めて将軍義満の前で能を舞つた時、大夫の役として第一番に演じた輝かしい記録がある。また世阿弥の時代に、すでにこれを神聖視した文献もあるが、能楽が徳川幕府の式楽となつてから、その取扱はさらに一層厳粛味を加へて来たことは否めない。代々の観世大夫がいかに誇らかに、また厳かにこれを勤めて来たことであらう。総ての大夫は「翁」を心から神聖視して「天下泰平、国土安穏」の祈祷として勤めたから、その見識もまた大層なものであつた。大夫の見識についてかういふ話が伝はつてゐる。
昔将軍家の能で「翁」が初まる時である。吉例によつて熨斗目長上下の若年寄が、能舞台の階段を昇り、橋懸へ来て幕に向ひ「お能始めませい」と声をかけた。これによつて幕が上り、大夫が出て来るはずのところ、どうしたのか一向大夫は姿を見せない。そこで正面の将軍家から楽屋へ使者が立ち「なぜ幕を上げぬか」と訊かれた。すると大夫の言葉に「従来翁を勤めます時には、若年寄が橋懸一ノ松で片膝をつかれて、お能始めませい、の御言葉がありましたのに、今日はその御作法がございませんから、如何なる仕儀かと見合せてをります」とのこと、これ
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