れといふ。読み聞かせると、喜んで、あり難い御歌だが、とても返歌を申すことが出来さうにもない。けれども、御|和《コタ》へ申さぬのも、恐れ多い。此上は、唯一字で、お和《コタ》へしようと言ふ。行家は、なるほど世間で気違ひだと言ふのも、こゝだと思うて、三十一字を並べても、意の尽されぬ歌もあるのに、変な事を言ふと咎めると、ともかくも「ぞ」と言ふ文字が、わたしの返歌だから、御製を今一度読みあげてくれ、と言ふ。「雲の上は、ありし昔にかはらねど、見し玉簾のうちやゆかしき」。その「や」を読みかへて「うちぞ[#「ぞ」に白丸傍点]ゆかしき」と申すのが、返歌であると言うたとあるのが、此話の本筋になつてゐる。
此から、勅使が、昔にも、かう言ふ歌の例があつたか、と問ふ処から、鸚鵡返しの体の事より、歌の六義の話に入り、其縁で、玉津島・業平の話になつて、例の舞ひの所望に移り、小町の狂ひになる。後段は、狂ひを見せる為の趣向で、本意は、勿論前段にある。処が、其贈答の話は、実は他人の上にあつた、事実めいた話其儘である。
桜町中納言(信西入道の子。成範民部卿)が、平治の乱の末に、経宗・維方の讒訴で流されてゐた下野の室《ムロ》
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