れた長い多くの祖《オヤ》たちの生活の連続が考へられねばならぬ。其はもつと神に近い感情発表の形式をもつてゐた時代である。今日お慈悲の牢獄に押籠められた神々は、神性を拡張する復活の喜びを失うて了はれたのである。
神の在処《アリカ》と思はれる物が、神其物と考へられるのは珍らしいことではない。其物が小さければ小さい程、神性の充実したものと信ぜられて来るのは当然である。依代は固より、神性が神と考へられゝばこそ、舟・※[#「竹かんむり/(目+目)/隻」、第4水準2−83−82]・臼(横・挽)、あいぬ[#「あいぬ」に傍線]のかむいせと[#「かむいせと」に傍線]が御神体として祀られる訣である。
まづ、供物を容れる器の観察から導いて来ねばならぬ。折敷《ヲシキ》と行器とのくつゝいたやうな三方の類は大して古いものではなく、木葉や土の器に盛つて献らねばならぬ程の細かな物の外は、正式には、籠を用ゐたものでは無からうか。延喜式・神道五部書などに見えた輿籠《コシコ》(又は輦籠《コシコ》)は、疑ひもなく供へ物を盛つた器で、脚或は口を以て数へられる処から見ると、台の助けを俟たずに、ぢかに[#「ぢかに」に傍点]据《ス》ゑ
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