極端なのはいつかの文部省展覧会の鏑木清方氏の吉野丸の絵に見えたもの、又は一九の詞書き朝麿画の「吉原年中行事」にも、月見の座に島台の描いてあるが如き、婚礼の席の外は殆ど此物を見る事のない今日の人の眼には、なる程異様にも映ずるか知らぬが、島台はもと/\宴席であるによつて此を据ゑるので、而も宴席に島台乃至洲浜を置くのは、これ亦標山の形骸を留めるものである。信仰と日常生活と相離れること今日の如く甚しくなかつた昔に於ては、神のいます処を晴《ハレ》の座席と考へてゐたことは、此を推測するに難くないのである。
五
日記物語類に見えた髯籠を列べ出す段になれば、いくらでもあるであらうが、要するに儀式の依代の用途が忘れられて供物容れとなり、転じては更に贈答の容れ物となつたのが、平安朝の貴族側に使はれた髯籠なので、此時代の物にも既に花籠やうの意味はあつたらしく思はれる。花籠なるものは、元来装飾と同時に容れ物を兼ねてゐる。此類から見れば、後世の花傘・ふぢばな[#「ふぢばな」に傍線]は遥かに装飾専門である。
さて此機会に、供物と容れ物との関係を物語る便宜を捉へさせて貰はう。私どもは供物の本義は依代に
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