の間おはします家を神主に憑《カヽ》つて宣らせ給ふと信ずる風習は、甚多くの暗示を含んでゐる。此即天つ神は地上にはいまさず、祭りの時に限つて迎へ奉ると言ふ消息を洩して居るもので無からうか。若し此信仰を認めぬとすると、各地の祭礼が必|宵祭《ヨヒマツ》りを伴うて居る風習を説明することがむづかしい。神が一旦他処に降り、其処から更に祭場に臨み給へばこそ、所謂|夜《ヨ》宮の必要はあるのである。此古くして忘れられたる信仰は、或は盂蘭盆の精霊の送迎の上に痕を留むる外に、尚ちらほらと各地に俤を残してゐる。
大和高市郡野口では村境に於て精霊の送迎をするさうである。前申す三原では三昧まで迎へに行き、精霊を負ふと称して後向きになり、負ふ様な手つきをして家まで帰ると言ふ話である。高天原と黄泉《ヨミ》[#(ノ)]国と本貫異なる両者を混同する様に見えるか知らぬが、何れも要するに幽冥に属する方々たる点に、疑ひはないのである。
標山の観念化を経たものに更に洲浜《スハマ》・島台《シマダイ》がある。洲浜のことは紫式部日記を初めとし、既に平安朝に於て尠からず見えて居る。島台となつてからも武家時代には盛んに用ゐられて居た様で、其
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