御堂《ハナミダウ》にあやかつたものであつて、元はやはり髯籠系統のものであつたかと推測する。尚後の話の都合上此八日と言ふ日どりを御記憶願つておく。
日章旗の尖の飾玉などが、多くは金銀紙を貼《ハ》り、又は金箔などを附けて目籠の目を塞ぎ、或は木細工の刳り物などを用ゐて居るのは、元来此物がをぎしろ[#「をぎしろ」に傍線]であつて、魔を嚇すが本意ではなかつたことを暗示し、即武蔵野の目かい[#「目かい」に傍線]の由来談に裏切りするものである。殊に八日日《ヤウカビ》の天道花などに至つては、どう見ても魔の慴伏しさうなものでない。而もかくの如く全然当初の趣意が忘却せられるに至つても、所謂民俗記憶はいつまでも間歇的に復活し来り、屡此がよりしろ[#「よりしろ」に傍線]に用ゐられて居たのは偶然ではない様に思ふ。
さて、招祭《ヲギマツ》りの対象が神であれ精霊《シヤウリヤウ》であれ、依代の役目には変りがないとすれば、此間には何か前代人の遺した工夫の跡がある筈である。かく考へて注意して見ると、おもしろいのはかの盂蘭盆の切籠《キリコ》燈籠である。此物の名の起りに就ては、柳亭種彦の還魂紙料あたりに突拍子な語原説明もある
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