に至つては、必何かの目標を要した筈である。尤後世になつては、地神のよりしろ[#「よりしろ」に傍線]をも木や柱の尖に結び附けたことはあつたが、古代人の考へとしては、雲路を通ふ神には、必或部分まで太陽神の素質が含まれて居たのであるから、今日遺つて居る髯籠の形こそ、最大昔の形に近いものであるかと思ふ。木津の故老などがひげこ[#「ひげこ」に傍線]とは日の子の意で、日神《ヒノカミ》の姿を写したものだと申し伝へて居るのは、民間語原説として軽々に看過する事が出来ぬ。其語原の当否はともかく、語原の説明を藉りて復活した前代生活の記憶には、大きな意味があるのかも知れぬ。
木津のだいがく[#「だいがく」に傍線]のひげこ[#「ひげこ」に傍線]は、単に車の輪の様な形のものになつて居るが、若中《ワカナカ》のもの其他村々所用の物では、いづれも轂より八方に幾本となく放射した御祖師花《オソシバナ》(東京のふぢばな[#「ふぢばな」に傍線])の飾をかく称するのを見ると、後代紙花を棄て、輪を取りつけ天幕を吊りかけて、名のみを昔ながらに髯籠《ヒゲコ》と言ふのであらう。我々の眼には単なる目籠でも同じことの様に見えるが、以前は髯籠
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