軽には決し兼ねるが、二者の形似は確かに認めねばならぬ。唯目籠の単純なるに比して、梵天には更に御幣の要素をも具へて居るのである。京阪では張籠《ハリコ》のことをぼて[#「ぼて」に傍線]と謂ふ。此はぼて/″\と音がするからぼて[#「ぼて」に傍線]と謂ふのか、と子供の時は考へてゐたが、此もどうやら梵天と関係がありさうだ。
我々上方育ちの者には、梵天と謂へば直ちに芝居の櫓などに立てた、床屋の耳掃除に似た頭の円く切り揃へられた物を聯想するが、関東・北国等の羽黒信仰の盛んな地方では必しも然らず、ぼんてん[#「ぼんてん」に傍線]即幣束の意に解して居り、其形状も愈削り掛け又はいなう[#「いなう」に傍線]の進化したものゝ様に見えて参る。香取氏の梵天塚の話(郷土研究二の五)などを見ても、梵天・幣束・招代の三者の関係は直観し得るのである。
梵天に就ては後に今一度言ふべき折があるが、茲には唯張籠と梵天との語原的説明を介して、髯籠と梵天との関係を申した迄である。ぼて[#「ぼて」に傍線]と言ふ籠の名が擬声語でないことは他にも証拠がある。肥え太つた女などの白く塗り立てたのを白ぼて[#「白ぼて」に傍線]などゝ言ふが、此などは勿論音からではなく、梵天瓜の白いのを白梵天と言ふ処から、人にも譬へて用ゐたのであるらしいことを考へると、自ら命名の理由の外に在るべきを推測せしむるのである。
四
髯籠《ヒゲコ》の因《ちなみ》に考ふべき問題は、武蔵野一帯の村々に行はれて居る八日どう[#「八日どう」に傍線]又は八日節供と言ふ行事である。二月と十二月の八日の日、前晩からめかい[#「めかい」に傍線](方形の目笊)を竿の先に高く揚げ、此夜一つ眼[#「一つ眼」に傍線]と言ふ物の来るのを、かうしておくと眼の夥しいのに怖ぢて近づかぬと伝へてゐる。
南方氏の報告にも、外国で魑魅を威嚇する為に目籠を用ゐると言ふ事が見えてゐたが、其は恐らく兇神の邪視に対する睨み返しとも言ふべきもので、単純なる威嚇とは最初の意味が些し異つて居たのではないか。天つ神を喚び降す依代《ヨリシロ》の空高く揚げられてある処へ、横合からふと紛れ込む神も無いとは言はれぬ。
今日の稲荷下げの類でも、際限もなくあちこちの眷属殿が憑り来り、はては気まぐれの狸までが飛び入りをして、蒟蒻・油揚などをしこたま[#「しこたま」に傍点]せしめて還る事もある。其程でなく
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