其方より聞え来るなり。
此音を耳にして、われは、ゆくりなくも、旧き記憶をよびおこして、回想の忘れ路をたどりぬ。
恋《こひ》の淵《ふち》・峯の薬師・百済の千塚《ちづか》など、通ひなれては、そなたへ足むくるもうとましきに、折しも秋なかば、汗にじむまで晴れわたりたる日を、たゞ一人、小さき麦稈帽子うち傾けて、家を出でつ。
山鳩の、梢に羽ぶく音だに聞ゆる淋しき山路を、「あゝ正成よ」など、高らかにうたひつゝ登る。
この道は、平群《へぐり》の櫟本へ出づるなりとか。
もみぢにはまだしけれど、聞きおよぶ竜田へは二里をこえずと、よべ乳母の語れるに、いでさらばと志しゝなりき。
行けど/\山かさなりて、峠なほ遥かなるに、日はゝや大阪の海に傾きかゝり、大空は、いよゝ青ずみて、行きかふ雲だになし。
夕べの山路には、人かどふ神の出るものよと聞けりしかば、暮れはてぬ程にともと来し道をひたくだりに走せくだる。
山の尾をいくめぐり、谷にそひ、谷をわたり、森のかげ路のをぐらきには、落葉ふむ跫音にもおびえつゝ、やゝ里近くなりたる処に、山畠の陸稲《をかぼ》の、方一反、波うちかへすが中に交りて、大きなる柿の木の枝もとをゝに実りた
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