#「いざなぎの命」に傍線]の鎮りますひのわかみや[#「ひのわかみや」に傍線](日少宮)は、実在の近江の地から、逆に天上の地を捏《デツ》ちあげたので、書紀頃の幼稚な神学者の合理癖の手が見える様である。尤《もつとも》、飛鳥・藤原の知識で、皇室に限つて天上還住せしめ給ふことを考へ出した様である。神《カム》あがりと言ふ語は、地の岩戸を開いて高天原に戻るのが、その本義らしい。浄見原天皇・崗宮天皇(日並知皇子尊)共に、此意味の神あがりをして居させられる。柿[#(ノ)]本[#(ノ)]人麻呂あたりの宮廷歌人だけの空想でなく、其頃ではもう、貴賤の来世を、さう考へなくては、満足出来ぬ程に、進んで居たのであらう。ひのわかみや[#「ひのわかみや」に傍線]が、天上へ宮移しのあつたのも、同じく其頃の事と思ふ外はない。
飛鳥の都の始めの事、富士山の麓に、常世神《トコヨガミ》と言ふのが現れた。秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》の対治《タイヂ》に会ふ迄のはやり方は、すばらしいものであつたらしい。「貧人富みを致し、老人|少《ワカ》きに還らむ」と託宣した神の御正体《ミシヤウダイ》は、蚕の様な、橘や、曼椒《ホソキ》に、い
前へ
次へ
全21ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング