[#(ノ)]呼坂《ヨビサカ》・筑紫の荒ぶる神・姫社《ヒメコソ》の神などの、人|殺《ト》る者は到る処の山中に、小さな常夜の国を構へて居たことゝ察せられる。国栖・佐伯・土蜘蛛などは、山深くのみひき籠つて居たのではなかつた。炊ぎの煙の立ち靡く里の向つ丘《ヲ》にすら住んで居た。まきもくの穴師《アナシ》の山びとも、空想の仙人や、山賤《ヤマガツ》ではなく、正真正銘山|蘰《カヅラ》して祭りの場《ニハ》に臨んだ謂はゞ今の世の山男の先祖に当る人々を斥《サ》したのだ、と柳田国男先生の言はれたのは、動かない。其山人の大概は、隘勇線を要せぬ熟蕃たちであつた。寧、愛敬ある異風の民と見た。国栖・隼人の大嘗会に与り申すのも、遠皇祖《トホツスメロギ》の種族展覧の興を催させ奉る為ではなかつた。彼らの異様な余興に、神人共に、異郷趣味を味はふ為であつた。
ほんとうに、祖々を怖ぢさせた常夜は、比良坂の下に底知れぬよみの国[#「よみの国」に傍線]であり、ねのかたす国[#「ねのかたす国」に傍線]であつた。いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の据ゑられた千引きの岩も、底の国への道を中絶えにすることが出来なかつた。いざなぎの命[#「いざなぎの命」に傍線]の鎮りますひのわかみや[#「ひのわかみや」に傍線](日少宮)は、実在の近江の地から、逆に天上の地を捏《デツ》ちあげたので、書紀頃の幼稚な神学者の合理癖の手が見える様である。尤《もつとも》、飛鳥・藤原の知識で、皇室に限つて天上還住せしめ給ふことを考へ出した様である。神《カム》あがりと言ふ語は、地の岩戸を開いて高天原に戻るのが、その本義らしい。浄見原天皇・崗宮天皇(日並知皇子尊)共に、此意味の神あがりをして居させられる。柿[#(ノ)]本[#(ノ)]人麻呂あたりの宮廷歌人だけの空想でなく、其頃ではもう、貴賤の来世を、さう考へなくては、満足出来ぬ程に、進んで居たのであらう。ひのわかみや[#「ひのわかみや」に傍線]が、天上へ宮移しのあつたのも、同じく其頃の事と思ふ外はない。
飛鳥の都の始めの事、富士山の麓に、常世神《トコヨガミ》と言ふのが現れた。秦《ハタ》[#(ノ)]河勝《カハカツ》の対治《タイヂ》に会ふ迄のはやり方は、すばらしいものであつたらしい。「貧人富みを致し、老人|少《ワカ》きに還らむ」と託宣した神の御正体《ミシヤウダイ》は、蚕の様な、橘や、曼椒《ホソキ》に、いくらでもやどる虫であつた。而も民共は、財宝を捨て、酒・薬・六畜を路側に陳ねて「新富入り来つ」と歓呼したとあるのは、新舶来《イマキ》の神を迎へて踊り狂うたものと見える。此も、常世から渡つた神だ、と言ふのは、張本人|大生部《オホフベ》[#(ノ)]多《オホ》の言明で知れて居る。「此神を祭らば富みと寿とを致さむ」とも多《オホ》は言うて居るが、どうやら、富みの方が主眼になつて居る様である。此神は、元、農桑の蠱術《マジ》の神で、異郷の富みを信徒に頒けに来たもの、と思はれて居たのであらう。
話は、又逆になるが、仏も元は、凡夫の斎《イツ》いた九州辺の常世神に過ぎなかつた。其が、公式の手続きを経ての還《カヘ》り新参《シンザン》が、欽明朝の事だと言ふのであらう。守屋は「とこよの神をうちきたますも(紀)」と言ふ讃め辞を酬いられずに仆れた。
唯さへ、おほまがつび[#「おほまがつび」に傍線]・八十まがつび[#「八十まがつび」に傍線]の満ち伺ふ国内《クヌチ》に、生々した新しい力を持つた今来《イマキ》の神は、富みも寿も授ける代りに、まかり間違へば、恐しい災を撒き散す。一旦、上陸せられた以上は、機嫌にさはらぬやうにして、精々禍を福に転ずることに努めねばならぬ。併し、なるべくならば、着岸以前に逐つ払ふのが、上分別である。此ために、塞《サ》への威力を持つた神をふなど[#「ふなど」に傍線]と言ふことになつたのかも知れぬ。一つことが二つに分れたと見えるあめのひぼこ[#「あめのひぼこ」に傍線]・つぬがのあらしと[#「つぬがのあらしと」に傍線]の話を比べて見ると、其辺の事情は、はつきりと心にうつる。此外に、語部の口や、史《フビト》の筆に洩れた今来《イマキ》の神で、後世、根生ひの神の様に見えて来た方々も、必、多いことゝ思はれる。



底本:「折口信夫全集 2」中央公論社
   1995(平成7)年3月10日初版発行
底本の親本:「古代研究 民俗学篇第一」大岡山書店
   1929(昭和4)年4月10日発行
初出:「国学院雑誌 第二十六巻第五号」
   1920(大正9)年5月
※底本の題名の下に書かれている「大正九年五月「国学院雑誌」第二十六巻第五号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
※平仮名のルビは校訂者がつけたものである旨が、底本の凡例に記載されています。
※訓点送り仮名は、底本では、本文中に小書き
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