和歌批判の範疇
折口信夫
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)容易《タヤス》く
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二種以上|享《ウ》くる
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]
[#…]:返り点
(例)為[#(ス)][#レ]勝[#(ト)]
[#(…)]:訓点送り仮名
(例)為[#(ス)][#レ]勝[#(ト)]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)もと/\
−−
一「こゝろ」 その一
およそ歌を見、歌を作る上において、必らず心得て置かねばならぬ、四つの段階的観察点がある。
此観察点は、元来作者の側にあるものではなくて、読者としての立ち場から出るものであるが、作者といへども、其作物を、完全なるものたらしめむ為には、出来るだけ自分の作物を客観の位置において、推敲を重ねなければならぬ。即、此場合においては、作者即批評家といふ態度に出なければならぬのである。されば、読者、又は批評家の立ち場において生じた批判の範疇は、作者が其作物を推敲する上においても、当然採用せられねばならぬわけで、前に述べた段階的観察点といふのは、即、此批判の範疇に外ならぬのである。
まづ美的情緒が動いて、ある言語形式を捉へると、此処にはじめて、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]が成り立つのである。こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は、作者の方においては之を思想[#「思想」に白丸傍点]といひ、読者の側からは之を、ある形式を通して受納する意味、といふ。繰り返していふと、言語形式を俟つて、ある限界が、情緒の内容を為して居る思想(未だ明に思想といふことの出来ない、甚だ渾沌たる状態にあるもの)の上につけられて、内容が固定して来るので、明確なこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は、此処に到つて現はれるのである。
形式の成ると共に、内容が定まる。此処にはじめて、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]との対立を見るのである。こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]すぐれたりだの、おとりたるこゝろがまへ[#「こゝろがまへ」に白丸傍点]だのといふのである。如何なる情緒も、取り扱ひ方、即、形式一つで、すぐれた内容とも、おとつた内容ともあらはれる。情緒と言語形式とは、互に因果関係を交錯することはあるけれども、内容は常に、形式の後に生ずるといふことは納得せられねばならぬ。世の中の歌よみが、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]を本とし、ことば[#「ことば」に白丸傍点]を末だとして、容易《タヤス》く両者に軽重を定めて居るのは、今少し考へて見なければならぬと思ふ。かういふ謬見から語法を度外視して居る人もあるが、考へざるの甚しきものといはなければならぬ。勿論、ことば[#「ことば」に白丸傍点]といふ語《ゴ》は、たゞ語法一つを指した訳ではない。歌学の上で、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と称へて居るものゝ意味は、いづれ第二において述べるが、此処では、情緒と詩歌の内容との間に、ある時間上、価値上の差別があるといふことを知つて貰ひさへすればよい。つまり従来《コレマデ》は、作者の立ち場と読者の立ち場とを混同して居たので、情緒は作者として、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]は読者として、といふ風に、原因と結果との相違がある。作者として採るべき態度は、情緒とことば[#「ことば」に白丸傍点]との結合する処において、非常の苦心、努力を用ゐることで、此因果関係の交錯して居る二元の取扱ひに、間然する処があつたとすれば、二つのうちの、いづれかゞ強きに失して、他の一つが、之に伴はなくなる。此工夫が即、趣向といふのである。趣向とことば[#「ことば」に白丸傍点]とが一致しなかつた時は、不調和が生ずる。古人が、詞《コトバ》、心に伴はずとか、詞すぐれたれど心おくれたるなりとかいうて居るのは、此出発点における、工夫の足らなかつた結果になつた作物を、評したのである。此情緒を表はす趣向とことば[#「ことば」に白丸傍点]との不調和は、文学的作物としての価値に影響するが、和歌には一面、形式美に陥つた点があるので、此辺から見れば、ことば[#「ことば」に白丸傍点]の勝れたのは、形式自身に幾分の価値ある点より、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]のおくれたのを補ふことが出来る。
之に反して、ある情緒を盛るに適切な形式、限界を与へなかつた時は、詩歌ではなくて、単に叙述文に過ぎないものとなり了《ハテ》るので、詩歌たる資格は、形式美を有することば[#「ことば」に白丸傍点]のすぐれた方が、まだしも多いわけ[#「わけ」に傍点]である。形式美は、一歩退いて考へて見ると、つまらぬ趣向をも、言語形式によつて、思想としては、大に見直す事の出来るものとするのだともいふことが出来る。
兎も角も、此情緒を発表する趣向は、作物の根柢となるものであるから、適切なる言語形式を捉へることは勿論、極めて厳密な美的考察を要する。
事物を定義することに無頓着であつた古人は、伝習的に用ゐ来つた歌学上の専用語を、自由に用ゐて居る為に、たゞこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ一語を以て、趣向にも、亦内容にも通じて使つて居る。下に説かうとする数々の語も、皆かういふ風に、使用者が読者の直覚を予期してかゝつて居たのであるから、今日之を説くには、非常な困難を感ずる次第であるが、みな之は、言語の意味の内包が明かでなかつた為に生じた結果で、歴史的に発展の過程を考へて見れば、歌合行はれ、歌式出で、歌話が物せられ、師範家が出来、批評家が現はれた中に、雑多な用法をせられ乍ら、其処に、ある一道の集合的概念を抽き出す事が出来ると思ふ。此意味における専用語の意味を説明すると共に、発展の路において、経て来た異なる意味の用ゐ方をも、示したい考《かんがへ》である。勿論、ある意味と、正反対の意味に用ゐられた例証は、自分といへども、少からず提出することが出来るが、唯集合的概念の謬《アヤマ》らざる、最も適切に、巧妙に、また最も全過程を包括した、最近の意味におけるものを採るので、単に言語の意味を説くのみに止めず、今後この定められたる意味を以て、此等の専用語をば、盛に復活して用ゐたいといふ微意に外ならぬのである。
こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ語は、内容、即思想、及趣向の意に用ゐられて居る。
ここに一言断つて置かねばならぬのは、趣向といふものは、一体が、どういふ風に情緒を発表すれば、言語形式を通して、完全なる内容を形づくることが出来るかといふ、努力を意味するものであるから、趣向というても、思想というても、全然異なる事柄ではないので、たゞ原因結果の関係があるものといふ外に、明瞭な区別は出来ない。強ひていふと、趣向は動的で、まだ全く固定したといふことの出来ないもの、思想は静的で、結果より帰納せられた、固定したもの、言ひ換へれば、ことば[#「ことば」に白丸傍点]と趣向とよりなつて、読者をして、形式的に、実質的に、並に想像の結合によつて、作者が最初に起したものに近い美的情緒を、再現せしむる働《ハタラキ》を為すものなのである。で、こゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]といふ語は、何《ド》の時代においても、右の両に用ゐられて居る。
天徳四年内裡歌合の、八番右の兼盛の、
[#ここから2字下げ]
ひとへづゝ八重山吹はひらけなむほどへて匂ふはなとたのまむ
[#ここで字下げ終わり]
とある歌、判の詞に、「右歌、八重山吹のひとへづゝひらけむは、ひとへなる山吹にてこそはあらめ。心[#「心」に白丸傍点]はあるに似たれども、八重咲かずば、本意なくやあらむ」とあるもの、
応徳三年の若狭守通宗朝臣女子達歌合に、
[#ここから2字下げ]
郭公あかずもあるかな玉くしげ二上山の夜はのひとこゑ
[#ここで字下げ終わり]
の判詞に、「ふたかみ山、あかずなどいふ心[#「心」に白丸傍点]、いとをかし」云々とあるもの、
建保五年の歌合の、二十三番の、
[#ここから2字下げ]
須磨の浦に秋をとゞめぬ関守ものこる霜夜の月は見るらむ
[#ここで字下げ終わり]
の歌に、「秋をとゞめぬ関守、残る霜夜の月をみる心[#「心」に白丸傍点]宜し」とて、為[#(ス)][#レ]勝[#(ト)]と定家が追記したるもの、
景樹の、六十四番歌結、三十四番左の、「いかにせむ萩にはしかと頼めてし」云々の歌の判詞に、「左、萩にはしかとゝいふに、鹿をこめて、さてその萩だにもすぎむとぞするといはれたる、心[#「心」に白丸傍点]詞《コトバ》たゞならぬにや」などあるのは、皆趣向の意である。
思想の意味に用ゐたのには、古今集の序、「在原業平は、そのこゝろ[#「こゝろ」に白丸傍点]あまりて、ことば足らず」云々とあるもの、
千五百番歌合、百三十六番右、定家の歌の、
[#ここから2字下げ]
まちわびぬ心づくしの春霞花のいざよふ山の端の空
[#ここで字下げ終わり]
を評して、「右、心[#「心」に白丸傍点]こもりて、愚意難[#(シ)][#レ]及[#(ビ)]」云々と、見えて居るもの、
六十四番歌結に、三番子日[#(ノ)]友の右、
[#ここから2字下げ]
たちまじり小松ひく日はわれならぬ人のちとせもいのられにけり
[#ここで字下げ終わり]
とあるのゝ判詞に、「右は、その意[#「意」に白丸傍点]したゝかにいひすゑられて、あまりこちたきまでにぞ聞きなされ侍る」云々、とある類が、其《ソレ》である。
二「こゝろ」 その二
思想と内容との関係については、前章に於て聊か述べておいたが、今尠しく説いておく必要がある。
世間には、往々思想と内容とを混同して居るものがある。この詩歌の内容を、即思想とする辺から多くの誤《アヤマリ》が醸される。
これらの人の頭には、思想と内容との関係区別はおろか、形式と内容との交渉分離に就いてさへも、明かな考はなからうと思はれる。
内容は形式を俟つて生ずる。形式は内容に対しての名である。尠くとも、内容といふものを形式にさきだつて存するやうに考へ、内容を拒外したる形式があるやうに思ふのは誤謬である。この点に於て、思想と内容との区別が明《アキラカ》になつて来る。
思想がある形式によつて制限を加へられたものが内容なので、これを他の方面でいへば、結果である。これに対して、思想は動機である。或はこれを、第一次思想、第二次思想といふ名称を与へて、区別をつくることが出来る。第二次思想は、即、ある形式を通じて、ある限界を加へられた思想をいふのである。
前にもいうた通り、第一次思想といふものは甚だ渾沌たるもので、これを客観的にいへば、情緒の内容、主観的に見れば、情緒と並行して進む思想である。であるから、多くの場合に於て、第一次思想を予め工夫しておいて、然る後に、ある形式を捉へようとすると、情緒の之に並行しないで、第二次思想との間に、非常な間隔のあるものが出来上る。客観を主とする俳句の如きに於ては、それもよいが、客観よりは寧ろ主観を生命として居る和歌に於ては、不成功に終つたものといはなければならぬ。
今一度言葉をかへていふ時は、思想は情緒のある傾向を示すものである。情緒と思想との関係は、斯の如く、非常に密接なものである。これが形式を呼ぶ場合に、趣向といふ立ち場が出来るが、和歌に於ては、屡この階梯は顧られぬことがある。和歌のみならず、主観を生命とする詩は、この階梯を形式成立後に延ばしておくことのあるのは、動《ヤヽ》もすれば情緒の流行を妨げることがある為で、事実この階梯は、必しも、此場合に欠くべからざるものではない。
しかしながら、第一次思想そのものをさながら表はさうといふことは、到底行はるべきことでない。この場合には、「言語形式」によつては、殆ど望《ノゾミ》がない。吾人はこの点に於て、象徴主義の価値を認める。即、作者の胸中に於ける情調の傾向を、読者に感受せしむるのみにて足れりとするのであるから、人々によつて感覚、感情の比較的強度を異《コト》にす
次へ
全3ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
折口 信夫 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング